今年度もお世話になります。

アドベンチャーカリキュラム2年目。

真価が問われる2年目。

ただのレクではないところをみせる。

遠足でも、修学旅行でもない、アドベンチャー

あと2年、公教育でできるところまで突き詰める。

こんなことができる学校、ありがとう。

しんさん、ゴリ、任せてくれてありがとう!

スタッフの皆さん、融通きかせてくれてありがとう!!


しむけん、ムネ、ヒロキ、おすぎ、たいちょう、ぶっさん、あすかさん、たけぷー、こぐま、美麗ヤーズの面々、ゆっけ、あっきー、りりー、よろしくお願いします!

高速道路

軽井沢に来てすでに5年めに入りました。

基本的に、金曜日の夜に狭山に帰り、

月曜日の朝に軽井沢に戻るようにしています。

行き来は高速道路を使ってるわけですが、

最初の頃は、いかにして早くたどり着くかということに燃えていた時期がありました。

最速1時間25分くらいでしょうか、かなりすっ飛ばして。

でも疲れちゃうので時速100kmの制限速度で走るのがほとんどでした。

これでだいたい1時間40分くらいかな。

 

2年ほど前から、実はもっと遅くて、

時速80km走行を心がけています。

この速さで、3車線の1番左側を走るのです。

そうするとですね、この車線、私のものになるのです。

going my way ってわけです。

誰も追い越さなくていいし、

煽られることもありません。

目の前には一切車なし。(時たまもっとゆっくりさんがいて追い越しますが…)

ストレスなし、燃費良し、景色見られる。

という、スロードライブを楽しんでいます。

 

料理 21

ここの山田電気でやってた仕事で1番過酷だった(いや、変な)仕事は、

プラネタリウム建設時の緊急招集仕事でした。

なぜだか夕方に集合がかかり、「お願いだから行ってくれ!」と頼まれて出かけました。

行ってみると、そこに集められていたのは工事関係のいかつい人たちではなく、

大量の学生バイトたちでした。

現場に入るなり、黒色のサインペンを数本手渡され、

足場の上に行ってくれと言われました。

現場に入ってみると、プラネタリウムのドームに沿って、

巨大な足場が組まれています。

「おーっ!」となったものの、いったいこのサインペンで何をやるのだろうと思っていると、

工事関係者の方が言うには、

「そのペンでね、壁にね、点々を打ってほしいの」

と言います。

「???」ですが、

ようするに、プラネタリウムの壁面を成す白い板に、

黒のサインペンで点を一つずつ打つという実に簡単なお仕事でした。

しかし、これ、あまりにもシンプルすぎて、開始30分で飽きてきます。

1時間経過後、頭がだんだんボーッとしてきます。

2時間経過後、私は何をしているんだ?状態になり、

0時前には精神に異常をきたすレベルになります。

眠くて足場から落っこちそうになる奴や、

ずっとわけのわからん歌を歌ってる奴や、

監視の目を逃れて眠りこけている奴や、

もうね、非常にヤバイ状態になっていきます。

私も気が狂いそうになりました。

 

そして、これを朝の6時まで…。

ひたすら点々を打つ若者たち。

いったい何個の点を打ったのだろう…、

 

仕事が終わり、現場を出ると、

太陽の光が眩しくてクラクラする渋谷の朝でした。笑。

ちなみに、休憩時間に話を聞くと、

塗装屋が間違えて壁を塗りたくり、

有孔ボードの小さな穴を塗りつぶしてしまったので急遽バイトがかき集められたとのことでした。

他の作業がある中、こんな作業できないですからね。笑笑!

 

 

料理 20

みなさん、学校クソ、先生シネとかそんなことはあんまりなくて、

まあ、つまんなかったとはよく言ってましたが、

ことさらそんなに恨みがあるとか、復讐したいだとかはあるわけでもなく、

(ドラマや、教育関係の報道とかドキュメンタリーってどっかに先入観や煽りがあるんjかないだろうか)

簡単に言うと、「どうでもいいかな」という感じです。

尾崎豊みたいな人はそうそういない。

 

学校で勉強しとけばよかったなという人はちょこっといましたが、

今のほうが断然勉強しているし、大変だという人は多かったです。

仕事上、学ばなければいけないことは多く、

資格とかとるためには当然筆記試験も必須なわけで、

働きながら資格取るために勉強している人が多かった。

私にはその難しさはよくわからなかったけど、

学校では学べない専門的な内容なんだろうなと思います。

仕事を覚える上でも、さらによりよく働く上でも、

収入を増やす上でも(それは家族を養うために直結する)、

学ぶことは仕事の一部というか、とても重要な部分だと思います。

筆記試験はともかく、日々の仕事の中で、「学ぶ」ということがとても大事なわけで、

それは、私が料理のバイトをしていたときとも共通します。

 

私は今先生をしていますが、

私の担当している子どもたちが学んでいる姿と、

この時の現場に集まっている方々が学んでいる姿と、

そして今の私自身の姿も、

基本的には同じでなければいけないと思っています。

どちらも、幸せな暮らしをおくりたいと思っている点では動機は同じなんだと思うからです。

でも、学校教育の場合は、なかなか学習者のその思いが大切にされていないということが多かったように思います。

(続く)

 

 

料理19

 

東急ストアなど大きな工事現場では、

いろんな職種の人たちが休憩時間に同じ場所に集まります。

うちみたいな電気工事屋、壊し屋、水道工事屋、経師屋、基礎屋などなど…。

 

こういう現場って、休憩時間(10時と3時)とか昼の食事時間とか、

きっちり時間が決まっていて、

どんなに仕事中であっても、スパッと中断して休憩に入ります。

労基法をしっかり遵守しているんです。

事故が起こったら施主さんに大迷惑がかかりますから、

現場を監督している人は、口酸っぱく言うわけです。

 

休憩時間やお昼の食事時間はすっごいたくさんの人たちが集まります。

見た目めっちゃ怖そうな人たちもいますが、まあだいたい気の良い人たちです。

電気工事屋は、こういう現場ではなんとなく格的に最下層で、

けっこう邪険に「じゃまじゃま!」と扱われ、

私はさらにそこの手子なのでさらにさらに邪険に扱われるわけです。

でもまあ、悪気はないので受け流しますが、かなりメンタル鍛えられます。

大学生だとか、先生になる大学に行ってるとかバレると一定数の人が「ケッ!」っとなりますが、

ほとんどの人は、「へー、がんばれよ!」と言ってくれます。

そして、子どもころの学校の話をしてくれました。

(続く)

 

 

 

 

料理18

仕送りを止められて、ロードの給料だけでは食えなくなってきたので、

もうひとつ、以前から単発でやってたバイトを、定期的に入れるようにしました。

それは、「山田電気工業所」というところの仕事です。

ヤマダ電機」ではなく、「山田電気」です。

新宿御苑前にある小さな電気工事屋さんですが、

取り引きしているところは、東急、ミノルタなど、けっこう大きなところでした。

ご近所の歌舞伎町の怪しげな店の電気工事もありましたが…。

ここで私は普通の大学生が経験できないことをたっぷりと体験することができました。

たくさんの人に会い、見聞を広げました。

と書くと、なんだか素晴らしい体験のように聞こえますが、

現実は、工事現場やその飯場でのことです。

時代はまさにバブル絶頂期です。

日本中が浮かれていた時代でした。

でも、この現場にはそんなきらびやかさは一切なく。。。

でも、とても生き生きとしていたのは確かです。

(続く)

料理17 怠学④

怠学シリーズが長く続くと気が滅入るので、

このあとの怠学のことを話すと、

4年で仕送りを止められたあと、4〜5年生で教科の単位はすべて取り終えました。

教育実習も4年生で附属小(小金井にしてもらえた。ラッキー(⌒▽⌒))、

5年生で協力校にいき、無事履修。

が、しかし、何故だか知らないけど、うちの大学は教員養成校なのに、

専攻学科があり、しかもそこのゼミは必修で、さらには卒論も必修。

でも私はほんとうんちなので、そこのゼミには数回しか行かず、

担当の教授とも仲違いしてしまっていました。

卒論も書いたは書いたんですが、結局提出するのも憚られ、

結局卒論の単位だけを残して6年生の留年が決まりました。

6年生になってもゼミには参加せず、卒論をそっと提出期限の日に出して、

なんとか卒業することができました。

先生、申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございました。

もう鬼籍に入られましたが、感謝しています。

 

卒業して、就職のあてもなかったので、

卒業後の1年間はほぼ廃人でした。

 

仕送りを止められた大学4年生の途中から、

この大学5年生、6年生、卒業後の廃人の1年間を合わせた3年半は、

私の人生のグレーゾーンです。いや、真っ黒かも。

何をしていたかはとてもじゃないけど人には話せません。

 

ということで、怠学シリーズは終了です。

(続く)