参観記・質問の答え

「勝手に公開授業」に参加してくださった方々から、
フィードバックとともに、いくつか質問もいただいたので、
それに少しずつ答えていきたいと思います。



まずはえのちゃんの質問
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①子どもたちがとても落ち着いているが、それはもともとか、 それともKAIが担任してからあのようになったのでしょうか。


うちの学校全体が落ち着いています。
ほぼ100%の子どもが話を聞けます。
集会の時なんか顕著です。
それはなぜかというと、学校全体で、
「話を聞く」「あいさつ」「返事」ということを
徹底的に指導しているからです。
特に高学年は徹底的に。
全校のモデルとして。
中心になっているのは私じゃなくて、他の先生です。
私はそれを享受して好き勝手なことができるのです。


あとは、全員が目標を意識していることと、
良くないと思うことは平気で言えるような環境にあるからと、
そういうことをしたほうが楽しいことがあると分かっているからでしょう。




②座席配置はあの形でいつも同じでしょうか。


座席はいつもあの形(4人1組の班の形)です。
フォーメーションがいくつかあって、
・テストの時はまん中から半分になって一方は廊下、一方は窓側を向きます。
・習字の時は全員前向き。
・クラス会議の時は机を全部下げて椅子だけでサークル
・文学サークルの時は、机を一つだけで椅子4つ。


という感じですが、特別な時だけですから、95パーセントはあの形です。
通常よくある列になって全員前向き(後頭部凝視型)という形はありません。
コの字型は3年前までやってましたがやめました。
ちなみに、席替えは7週間に1回(給食当番が一回りする期間)で、
毎回くじ引きです。
「誰が来てもウェルカム」という姿勢がいいと子供たちがそう判断しました。





③いわゆる「係・当番」はないのでしょうか。

係、当番はありません。
普通のクラスにある係の仕事はすべて日直がやります。
ですので日直は人数多めの、班単位です。
だって意味ない係が多いもの。
一番笑えるのが「電気係」実働一日1秒。多くて5秒? 
なにそれ?って感じです。
プロ意識とか、創造性とか、やりがいとか、責任感とか、
そんなところのものがそれで育つでしょうか?
仕事が終わったと、「やったぜぃ!!」とガッツポーズをするくらいのものがほしいです。 
よくよく係について子供達と話し合うことだと思います。
「何のためにやるのか」「どうなりたいのか」、
そうすれば普通にある係のほとんどは、
「仕事」として価値のないものになるはずです。
だからやっつけ仕事として日直が全部やります。


先生が自分でできるところは先生がやります。
あまり子供が働く意義を感じることができずに、
先生がやってしまえばいいじゃんって思う仕事ってけっこうありますよ。
見直してみませんか?
先生ができるのに、子供に「やらせている」仕事ってないですか?


教室にゴミが落ちていて、それに気付いているのに拾わないで、
教育という名のもとに、「子供の気付きを待つ」と称する行為。
「気付いているのになんで拾わないんだ!」と子供に怒るけど、
それ自分にも言ってるよ、って。


かわりにVS(ボランティア・サービス)があります。
最初はいっぱいありましたが、最近は3つだけです。
俗にいう、会社活動のようなものです。
(ちょっと違うところもありますが)


給食はすべてボランティアで最初はやっていました。
ただ、盛り付けだけは白衣の洗濯の件がありうまくいかず、
これだけは当番制にしようとクラス会議でなり、
最初はVSのくじびきというチームがくじびきで毎週やってました(公平に)。
でもそれもめんどくさくなり、班で順番にやろうということになりました。
その他の給食の準備の仕事はすべてボランティアです。
だれが何をやるのかは決まっていませんし、誰が何をやってもいいのです。


掃除も当番制ではなく、席替え2回分くらいと同じスパンで、
一か所場所を決めて、そこだけを毎日掃除します。
ようするにプロになろうということです。
けどあまりプロになってません。
というかあまり私自身がそうじに力を入れてません。
給食指導同様、手抜きです。






④算数の時、6−3にもともとのKAIのクラスの子が少ないようでしたが、他の子どもたちは習熟度では上のコースの子たちが多いのでしょうか、下のコースの子たちが多いのでしょうか(上のコースの子が多そうですが)。

(本人に回答)





⑤読書ノートの使い方がいまいち分かりませんでした。「振り返り」を書いた時はわかりましたが、その他は本を読んで気づいたこと、感じたこと、思ったことなどをつらつらと書くような感じでしょうか。


基本的にいつ書いてもいいと指導しています。
読書家の時間のあとには必ず書きます。
それ以外、本を読んでいて、
何か書き留めたいことがあったときにはいつでも書いていいようにしています。
でも、ほとんどの子は、本を読み終わった後に書いています。
書く内容は、「すぐれた読書家が使っている10の方法」を使って、
それに関することを書かせています。





⑥ノートがなくなった子にノートを支給していましたが、あれはあげてしまうのでしょうか。それとも後でお金を持ってこさせているのでしょうか。


あれは私からのプレゼントです。
読書ノート、作家のノート、振り返りジャーナルのノートは、
全部私からのプレゼントです。
カインズホームの超安物です。
お金集めるのめんどくさいし。





⑦シャーペンやボールペンを使わせて、子どもが集中しないことはないのでしょうか。


集中しないことはないです。
自分を考えてください。
シャーペンやボールペンを使っていて集中を切らしたことがありますか? 
ないはずです。
子供だから集中を切らすんですか? 
それは子どもをバカにしています。 
子供が集中を切らしてシャーペンやボールペンをいじっている時は、
その100%は、授業に集中させるような魅力がないからです。
これだったら私にも経験があります。
あまりに聞くに堪えない講習の時は、
シャーペンやボールペンをいじっています。
でしょ?


ちなみになぜ使っているかというと、
うちのクラスの学習では、あまりに書く量が多すぎて、
鉛筆じゃたえ切れないからです。
いちいち削りに行くのもめんどくさいし。
なぜ先生たちは鉛筆を使わせたがるのでしょう? 
上記の理由から集中を切らすわけじゃありません。
字が下手になる? 
それもうそくさいです。
筆圧がどうのこうの… それもうさんくさい。
鉛筆、そんな万能ですか??
だいたい、鉛筆で書くことに関してさして指導もしていないのに、
鉛筆使えとはおかしな話です。
色ペンもばんばん使わせます。
ブタのような筆箱もOK。
どんどん使え。
それで学習が楽しくなるなら使わないでおくことはない。
楽しければ集中を切らすことはないですからね。 





⑧「読書家の時間」は、本の内容を理解することより、本を読むことを通して仲間と知の交流を図ることに意味があるのではないかと思ったのですが、どうでしょうか。教室に置いてある本にも、子どもたちが読んでいる本にも小説が多いことが気になりました。恥ずかしながら、私は「小説って、基本的に現実離れした空想物語で、役に立たない。」という気持ちをどうしても持ってしまっており、実用書は読んでも、小説を読むことがほぼないのです・・・

これは長くなるので、会ってお話しましょう!!

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本人にはすでにメールで伝えた内容でしたが、
ここで公開させていただきました。






手を抜くところはいっぱいあります(笑)
だって、つかれちゃうもん。
そんなにすべてに全力尽くしたら、
子供も先生もいっぱいいっぱいになって疲弊しちゃう。


というかなりいいかげんな先生です。