屈強な先生はいらない

よく空き時間に職員室にいると、
SOSの校内電話がかかってくる。



「屈強な先生をお願いします」




みんな私を見る。
「行ってくれ」と言われる。




とっても心外だ。
私は見た目は確かに屈強だ。
スキンヘッドで体重もDREAMだったらライトヘビー級だ。
ミルコと試合ができる。
低学年の子供は最初は一歩引く。
でも、「屈強」な荒技は使ったことはない。




ぼくは基本的にその問題な子に寄り添うようにしている。
恫喝はいらない。
必要ないでしょ。
そんなんでコントロールしてるからいつまでたってもいたちごっこなんだよ。
気持ちよくないことを次にやるかよ、子供が。
自分がそっちの立場だったらどうよ?
子供と大人と別もんじゃない。
視座を高めれば同じ人間なのに。



子供だからと、大人が導こう、指導しようと思ったらあかん。
同じレベルで考えよう。
そしたらけっこう簡単な気がするけどなぁ。





罰や怖れ、強制によって生み出される<よい行動>というものは、
一人の人間である子どもの個人的な生においては何の意味もないものであり、
社会にとっても意味のないことである。


ペーター・ペーターゼン