最後に伝えたこと

最後の学級通信の全文です。


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もぐらのさんぽ NO‘87最終号
      ○○市立栄小学校六年三組学級通信 H22.3.25



贈る言葉」 みんなへ そして保護者の方々へ



 今のみんなには難しいかもしれないが、いつか私の教育を分かってほしい。それは早くて3年後、遅くても10年後くらいにはその時が訪れるものとして期待している。いつも言っているが先生は変な先生である。こんな先生はあまりいない。それが幸か不幸かはさっき書いたように何年後かに分かる時が来ると思う。
 

 先生の教育の目的は、「世界平和」である。世界の人々が平和に仲良く楽しく暮らせる世の中を創るための人材を育てることが先生の教育の目的である。そのための方法は、「となりの人と仲良くなる力」を得ることと「自分で学んでいく力」を得ることが、小学校の時点での教育目標になる。先生の教育の目的と目標はこれである。



             学ぶことについて



 この2年間で、「知識」を得たかどうかに関しては自信がない。というかたぶん学力的には低い。それは今の学力で考えるとそうなるということである。見える学力なんてたいしたものではない。「知識」だけである。先生はそれを得るための教育はしていない。最終的にそうなるのは考えないこともないが、それは副産物である。ぶっちゃけたことを言えば、小学校での学習内容なんていうのは、大人になれば必要になった時、いくらでも「覚える」ことはできる。小学校で習う漢字は、20才になるころには、自然と覚えているものだ。今はさして必要ない。では今必要になるものは何か。今必要なものは、「学び方を学ぶ」ことだ。これを得ていれば、これから先、必要になった時、いくらでも応用がきく。適用ができるということだ。
 

 いつも先生は言っている。もうみんな耳にタコができたと思う。先生は強制的な勉強はなんの役にも立たないということをよく言う。だから、たとえば知識をつめこむだけの残り勉強はやったことがない。漢字テストを合格するまで残って勉強させたことはない。そんなのはなんの役にも立たないのを知っているからだ。そこで100点をとっても意味はない。そんな「学び方」は苦痛なだけで、次から適用できるとは思えない。ましてや、残り勉強がいやだから勉強するなんていうことになったら、罰のための学習なんて考えられない。まったくの本末転倒、学習の目的を失っている。だから先生は100点取るまでなんていうことはしない。してきたことは、「次にどう学ぶか」を考えさせることだ。今の自分の状態をリサーチして、次にどう学ぶかを考えて、その計画を実行し、試し、その結果からまた振り返り、次にどう学ぶか考えて…と延々この繰り返しである。漢字テストに限らず、すべての学習がこうなっていたことにみんなは気づいていただろうか。最終形態が、「ブロック・アワー」である。



 作家の作品は稚拙かもしれないが、君たちは素晴らしい書き手に成長した。これからいくらでも書いていける。全国の普通の作文を書いていた人たちは、いい作品を残した人がいるかもしれないが、たぶん作文がきらいになって、自分からは書くことを楽しもうとしないはずだ。でも君たちは違う。書くことを楽しめるはずだ。その文を、誰か読むだろう相手に向けて、心をこめて書く方法を知っている。それが素晴らしい書き手に成長したということだ。



 読むこともそうだ。君たちは素晴らしい読み手に成長した。これからいくらでも読んでいける。教科書をちまちま解釈していた全国の子供達とは明らかに違う。彼らは絶対に授業が終わった後に「本を読みたい!」とは思わなかったはずだ。そしていまもこれからも、本を読むことが生活の中に入ることを拒むだろう。でも君たちは違う。好き嫌いは別にして、本を読むということに関してはさほど抵抗を感じないはずだ。そしてほとんどの人が本が好きだ。そして本を読むことが好きだ。その行為から、意味を見つけ、価値を創り出し、生きていく上での糧にする方法を知っている。それが素晴らしい読み手に成長したということだ。



 さらに君たちは、書くことも読むことも個人的な活動ではないことも知っている。机を離され一人黙々と書かされ、図書室で静かに本を読むことを強要されてきた人たちとは明らかに違う学び方を知っている。書くことも読むことも、こんなにも人とかかわり、楽しくおもしろく語り合えるものだということを知っている。そしてそうすることでさらに互いに刺激し合い、学び合い、より良き書き手、読み手に成長していくものだということを確信している。




 だから君たちは大丈夫だ。自信をもて。君たちは学ぶ楽しさを知っている。学びとは誰からも強要されない、崇高な自分だけのものだ。そしてお互いの学びを尊重し合っている仲間=チームの中で大きくはぐくまれるものだ。6年3組は君たちの学びを大きく成長させてきたと先生は思う。先生は何もしていない。こんなに「教えない」先生は日本でも珍しい。はぐくんできたのは君たち自身だ。自信をもて。もう一人でもやっていける。旅立つ時がきた。6年3組は解散だ。でも、また旅立った先で共に学び合える新しい仲間を作ってくれ。



 分からない、できないを繰り返してある時ふっと、「分かる」んだよ。教えられている時に分かることは絶対ない。それは錯覚だ。教えられて分かった、できた気になっているだけだ。厳密に言うとそれは「分かる」ではなく「知る」だ。「知る」だけじゃなんの役にも立たん。私達は体験の中からしか学べない。聞いているだけ、見ているだけでは一生分かる時は訪れない。動け動け、やってみろ、まずは動け、そして挑戦しろ。「あきらめない限り失敗はない」のだから、何を恐れることがある。分からない、できないを繰り返しても、あきらめない限り失敗とはならないのだ。そしていつか「分かる」ときが訪れる。「できる」ときがやってくる。あきらめるな。挑戦する価値があると思うものには全身全霊でチャレンジしてみろ。いつか奇跡が訪れる。いや、奇跡じゃない。当然起こるべきして起こるのだ。



 それでも分からない、できないならば、君たちはいい方法を知っている。そう、仲間だ。ここを巣立っても、新しい場所にはまた違った仲間がいるはずだ。そいつを頼ろう。そして乞われたら助けてやろう。6年3組ではそうやってきたじゃないか。新しい場所でもできるはずだ。先生がいなくても。




「罰や怖れ、強制によって生み出される<よい行動>というものは、一人の人間である子どもの個人的な生においては何の意味もないものであり、社会にとっても意味のないことである。」

ペーター・ペーターゼン(イエナプラン創始者





            生きることについて




 「となりの人と仲良くなる方法」は身についただろうか? これが「世界平和」につながる第一歩である。となりの人と仲良くなれない人に、世界平和を語る資格はない。



 そのために先生が使った方法が、プロジェクト・アドベンチャー(PA)である。ただのゲームではないのである。コミュニケーション、協力、合意形成、目標設定、課題達成力、リーダーシップ&フォローワーシップ…いろんなキーワードがいっぱいつまっていた。そしていろんなことをみんなは学んだ。ここでも先生は一切教えていない。教師の説話中心の道徳の授業なんてなんの役にも立たないのである。全部、みんなが体験の中で気付いたことから振り返って、一般化したものが今残っているはずである。それが生きていく上での、世界平和につながる大切な宝物である。今みんなが得たものは、将来必ず使える時が来る。今目の前の、中学校ですぐ必要にもなるだろう。
 


 実はPAはこのためだけに使ったのではない。振り返りジャーナルの表紙の裏に貼ってあったサイクル表を覚えているだろうか。あのサイクルが私たちが生きていく上での考え方そのものだと思う。




「将来どんな政治的、経済的な状況が生じるか、私たちはだれも知らない。未来は、人々の不満、利益追求、闘争、そして今の私たちには想像のできない新たな経済的、政治的、社会的状況によってきまるだろう。
けれども、たった一つ確信を持って言えることがある。すべての厳しく険しい問題は、問題に取り組んでいこうとする人々がいて、彼らにその問題を乗り越えるだけの能力と覚悟があれば、解決されるだろう、ということを。
この人たちは、親切で、友好的で、互いに尊重する心を持ち、人を助ける心構えができており、自分に与えられた課題を一生懸命やろうとする意志を持ち、人の犠牲になる覚悟があり、真摯で、うそがなく、自己中心的でない人々でなければならない。そして、その人々の中に、不平を述べることなく、ほかの人よりもより一層働く覚悟のあるものがいなくてはならないだろう。」

ペーター・ペーターゼン(イエナプラン創始者



 
 これから先、みんなの前にはすごい嵐が吹き荒れる。昔の偉い学者さんがこの時代のことを、「疾風怒濤の時代」といった。「しっぷうどとうのじだい」である。とうぜんみんな風に吹き飛ばされるわけである。でもこれがないと、ある意味「強い」人にはなれない。温室の中で育てられたモノは、いつまでたっても弱っちいのだ。そこで根をはり、幹を太らせ、枝を伸ばし、葉を茂らすのだ。そこで育ったものは力強くなれる。逃げてるとダメダメだ。吹き飛ばされたまんまでもダメダメだ。あきらめたらそこで終わりだよ。あえて嵐の中に身を置こう。辛いけどね。自分は身を置くつもりはなくても、自然と嵐はやってくるんだけどね。



 さて、その時にやってほしいことが一つだけある。これから先、正しいことや、あたり前のことをやることが、とっても恥ずかしい時期がやってくる。ルールを破ることが快感になる。先生のいいなりになって小学生ではやってきたけど、ちょっと待てよと、考える時が来る。やってられるか!って時も来る。それは正常だ。反抗期ともいう。先生にも来た。それはそれでいいのだ。



 でもね、正しいことはしっかりと見極めよう。それを見極めるために、失敗や挫折を繰り返す。これもよし。ただしやってほしいことが一つだけある。



「正しいことをやる人になる」



 これはかなり難しい。でもこれならできる。



 「正しいことをしている人を笑わない」



これやって。




 さてそろそろお別れの時です。最後にこの学級通信の名前の意味を教えます。「もぐらのさんぽ」の意味です。



 もぐらはふつう、土の中で生活しています。夜行性です。散歩なんかしません。なので、「不可能を可能にする」という意味があります。もう一つは、「先入観を捨てよ」という意味もあります。ま、感じる人によって様々です。ちなみに前回は「空とぶかめ」です。意味は同じです。



 ということで…
「もぐら会」をここで結成します。卒業後の同窓会です。幹事は先生が勝手に決めます。よろしくね。

同窓会幹事長      同窓会幹事
 ○○○○  ○○○○  ○○○○  ○○○○


 同窓会じゃなくても遊びにくるのはいつでもOK。なんかあったら栄小に遊びに来てください。待っています。




 最後になりました。保護者の方々、2年間、大切なお子様たちを預かって教育してまいりました。変な先生ではありましたが、「学ぶ」ということと「生きる」ということは精いっぱい学ばせてきたと思っています。ご理解、ご協力ありがとうございました。中学校でも元気にたくましく、そしてしなやかに育ってくれるとおもっています。ご卒業おめでとうございます。
 



              2010年3月25日 KAI


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以上です。
卒業しましたが、30日には高尾の森ワクワクビレッジに、
PAのハイエレメントをやりに行きます。
コンセプトは「中学に向けて スタートは自分に向き合うこと」
これです。



見に来たい方はどうぞ。