料理15 怠学②

日々スポーツとバイトに明け暮れ、毎日を過ごしていました。

ロードの営業時間はAM2:00まででしたので、

片付け終わって店を出る頃には3:00を回っています。

家に帰って寝て、朝起きて1限の授業に出るというのは若い時分にはとてもじゃないけど無理な話でした。

普通に帰ればまだいいのですが、半分くらいは本店に行ったり、

小金井の朝までやってる飲み屋に行って飲んでたり、

その飲み屋(主に鬼無里)の人たちとまた国分寺の飲み屋に行ったりとかしてたので、

学業はますますおろそかになっていくわけです。

 

秋に教育実習がはじまりましたが、

満員電車に乗るのが嫌で嫌で、

小平から世田谷までスクーターで行きました。

2日目、スクーターを停めた等々力公園からまったく足が動かず、

公園でBMXに興じる人たちを1日ぼーっと眺めていました。

私は初日に1回行ったっきり、

附属校での教育実習に行くのをやめてしまいました。

 

自分は、何がしたいんだろう…

とかそんなかっこいいことなんかこれっぽちも考えていなくて、

あー、めんどくせー

とずっと思っていました。

(続く)

 

 

料理14 怠学

3年生になって、サークルの部長になりました。

「レクレーションスポーツクラブ」略して「レクスポ」といいます。

私が入った時に、創部8年目でした。

ですので、私は第10代部長ということになります。

もともとは、体育会の方々がつくったサークルでした。

体育会の「チャンピオンシップ」偏重の体質を嫌った方々が立ち上げたそうです。

チャンピオンシップを否定しているわけではありません。

スポーツの楽しさは、勝つこと以外にたくさんあるよね、

強い人しか楽しめないってことは絶対ないよね、

スポーツの楽しさは、あらゆる人々に等しく享受されるべきであって、

何か特権がある人々だけのものではない、

というような理念のもと活動していました。

部員は100人を超えていました。

まったくのスポーツ初心者や、体に運動制限のある人から、

高校ではバリバリにやってたけど、大学では純粋にスポーツを楽しみたいという経験者まで、

多種多様な人たちが集っていました。

月曜日…バレーボール

火曜日…バドミントン

水曜日…ソフトボール

木曜日…バドミントン

金曜日…部会

土曜日…バスケットボール

単発的に、

夏休み…キャンプ、上のスポーツの合宿

クリスマス…オールナイトスケート

春休み…スキー合宿

などなど、部員は自分が参加したいものに自由に参加します。

インストラクターは経験者が務め、初心者に丁寧に技術指導してくれる。

 

まあ、こんな感じで楽しくやってましたが、

体育会からはめっちゃ目の敵にされていて、

学園祭の時(うどん屋営業)にはいつも体育会の人たちから襲撃をくらっていました。

嘘みたいなホントの話。

 

サークルのほうも忙しくなって、

このころから講義、授業にはあまり出なくなり始めました。

(続く)

 

 

あ、余談ですが、

卒業して30年くらいして、

勤務していた学校に、私の行ってた大学の教育実習生が来て、

その子に「レクスポってまだある?」って聞いたら、

「あー、あの飲みサーのですか?」とにやけ顔で聞き返され、

衝撃を受けた次第です…

めっちゃまじめにスポーツのことを考えて日々自分たちでつくり上げていたのに…

飲みサーに成り下がっていたとは…(T . T)

 

料理13 バイト仲間

佐藤さんは、ここでも長続きせず、私が2年生を終える頃に辞めていきました。

こんな小さな店で燻っている人でもないし、

たぶん、引きがあったんだと思います。

 

さて、3年生になり、とりあえず厨房のことは1人で回せるようになり、

馴染みのお客さんと楽しくおしゃべりしながら仕事してました。

佐藤さんが辞めてから、厨房にはたくさんのバイトが入りました。

すぐ辞めていった人も多かったですが、

私は「教える」立場になったので、

けっこう気を使ったりしましたよ。

2人の変わった先輩のようにはならないように。笑。

 

いっとき、私の親友の伊藤というやつが一緒にバイトに入る時期がありました。

いまだに付き合いがある、私にとって唯一の親友と呼べる奴です。

彼はいろんな種類のバイト経験があり、

こういう飲食店も長かったので、

すんなりと馴染んでいきました。

1週間のうち、1日だけ曜日が重なる日があり、

その日はとても楽しかったです。

ママさんが所用で数時間抜けた時なんか、

ここぞとばかりに勝手に料理作って食いまくりました。

メニューの中で「スペアリブ」が一番高くて、

そいつを2人でモリモリ焼いて食ったりとか、

(滅多に出ないメニューだし、ママは厨房の在庫のことをよく把握してないから平気)

食べ盛りのうちらにとって、ピザはかっこうの餌食でした。

また、武蔵小金井の北口商店街の歳末大売り出しで、

何千円以上買い物すると、

札幌雪祭りへの招待券が当たる抽選券がもらえるという企画にロードも参加していて、

それをママさんの目を盗んで2人で大量にゲットし、

書きまくって送ったら、伊藤だけ当たりやがった。笑笑。

悔しいおれら友達数人は、

旅行初日をぶっつぶそうかと思って、

出発の前日にしこたま伊藤に酒を飲ませ、

徹夜で朝を迎え、その勢いのまま羽田空港まで車で送りに…

しかし、行ったみたらですよ!なんと欠員が出たとかで、

タダでいいから誰か行く?と聞かれ、

まあ、商店街の知り合いのおっちゃんやおねえちゃんたちがやたらに私に勧めるので、

酔っ払った勢いでそのまま飛行機に乗って、

ハッと眠りから覚めたら千歳空港でした。笑

ハンドバック一つで3日間札幌を満喫しました。

(続く)

 

 

 

 

料理13 佐藤さん2

ぐうたらとはいえ、十数年は一流どころで修行した人でしたので、

料理の腕は素晴らしかったです。

 

広田さんや私が切るキャベツの千切りの、

5分の1くらいの細さでサクサク切っていきます。

万切りか兆切りのレベルです。笑。

フライパンを振るにしても、

調味料を振るにしても、

サラダを盛り付けるにしても、

その流れるような華麗な動きとでも申しましょうか、

簡単にいうと、「様になる」んです。

 

料理はたいしたメニューじゃないし、

食材も長崎屋(武蔵小金井店)で買ってるようなものなので、

そんなにかわり映えはしませんでしたが、

(というか、全体的にもう、やる気がない人なので。笑)

ソースやドレッシングは一変しました。

以前紹介した、ロード三世のレシピをベースにして、

あれやこれやと何の説明もなくいろいろ加えていくんです。

そうすると、なんだか高級感あふれるソースやドレッシングになる。

さすがだなぁと思いました。

 

あるとき、ママさんが、ランチで特製カレーを出したいと言い出し、

佐藤さんがいやいやつくりました。

カレーはマスターの浅野さんが作ってましたから、

掟破りのメニューです。

そのとき私ははじめて、カレーを小麦粉からつくるところを見ました。

カレーってこうやってつくるんだぁ〜と素直に驚いたのを覚えています。

 

まあ、それ以外にも、いろんな料理のいろはを教えてもらいました。

包丁の切り方、飾り切りもいろいろおしえてもらいました。

食材の扱い方や、見方、特徴などなども。

料理のいろんなうんちくもおもしろかったです。

 

この人に出会ってから、

私は料理のおもしろさに本格的にのめり込んでいくことになります。

(続く)

 

 

私はお酒にはうるさいです。

自分の飲み食いの金勘定のできない奴とは飲みたくないなぁ。

飲み会の席に途中からやってきて、

テーブルの上の料理をほとんど食って、

1時間もしないうちに席を立ち、

雀の涙のお金を置いて帰っていった。

一番お箸の勢いがすごかったのは、

旬の刺身の5点盛り5人前分をほとんどすべて食い散らかし、

まだ、一切れしか食べていない人が2人もいたのに。

各種最後の一切れだけ残して食べ尽くしやがった。

思わず笑ってしまうくらいだったけど、

その後もぜんぜん反省ない様子だったのがまたすごい。あほ。

私も5点のうち3点しか食べれなかった。

ほんと、1万円分以上だよ。

若いから5千円でいいよと言ったのに、

2枚しか置いていかなかった。

自分の飲み食いの金勘定もできないやつ、

悪食のやつ、

意地汚いやつ、

こういう人とは飲みたくないな。

 

料理12 佐藤さん

佐藤さんは、年の頃は30歳前後、見た目童顔でイケメンの優男風でした。

ホテルニューオータニだったかどこかの一流ホテルで料理人として働き始め、

30歳くらいで辞めたと言ってました。

一言、「修行が辛かった…」とのことでした。

こう聞くと、一生懸命頑張って、なかなか芽が出ず、

毎日の修行の辛さに、辛くて泣く泣く辞めざる終えなかったのかなぁと想像してしまいますが、

どうも佐藤さんの様子を見ていると、そんな感じは1ミリも感じません。

 

なんで辞めたのか、それはめんどくさかったんだと思います。

こんなん、やってられっか!と飛び出したんだと多います。笑

自分でも言ってましたが、佐藤さんは根っからの「遊び人」でした。

酒好きで、三世の仕事が2時で終わると、

すぐ本店に行って朝までベロベロになるまで飲んでいました。

店の客とすぐ意気投合して、

国分寺の怪しげな夜の店に繰り出していました。

金遣いも荒いし、人付き合いも荒い人でした。

本店から200mくらいしか離れていない店に、

わざわざタクシーを呼び出して移動しているとか、

この人ヤバイという思いを日々してました。

 

荒いのは人使いもです。

この人、仕事しないんです。

まあ、だからホテルを辞めた(辞めさせられた?)んでしょう。

 

うちの店は細長いカウンターがあって、その内側がキッチンになっているんですが、

その中で、2人のポジションは、コンロの前の料理役と、

流しの前の洗いもの役とに分かれます。

この佐藤さん、このポジションチェンジが絶妙にうまい。笑笑。

めんどくさい料理のオーダーが入ると、

食材を取るふりして流しのほうにやってきて、

そこの目の前のカウンターの客と話し始める。

流しの中に食器がたまると、頼んでもいないのに料理の手子をはじめて、

いつの間にか料理ポジションにいる。

この人が、皿洗ってるとこ見たことありませんでした。笑笑笑。

 

こんな残念な感じの佐藤さんだったんですが、

10年以上一流ホテルで料理人として働いていたので、

料理の腕は半端ないものでした。

(続く)

 

 

料理11 転機

大学1年生の春からはじめて、

1年が終わる頃、先輩の広田さんが辞めていきました。

大学4年生になって、

いろいろと就職やら卒業制作やら忙しくなるということでした。

 

2年生から厨房は私1人になったわけですが、

私は毎日はお店に入れません。

ですので、私がいない日はママさんが厨房で料理を作ってました。

ホールには何人かの女の子がバイトで入ってきましたが、

どの子も長続きがしませんでした。(バイト代安いし…)

まあ、なんとかやってたんですが、しかしです、ここでさらなる問題が…

それは、ママの料理問題です。

これがまたお世辞にも上手!とは言えない残念な感じ…

広田さんがいる頃には確かに一切ママさんから教えてもらったことはなかったな。

問題はもう一つ。

それは、ママさんはとってもお酒が大好きで、

カウンターに座った客に勧められるままにクイクイ呑んじゃう。笑

そうすると、ただでさえ残念な料理がさらに目も当てられない状況になってくる…

 

というわけで、厨房に入る人を新たに雇うことになりました。

その人が、「佐藤さん」という人です。

この人が、これからの私の人生に、大きな影響を与えることになります。

(続く)