山のぼり ②
非常勤時代からはじめたとは書きましたが、
高校生までは九州を転々としていましたので、
野外で遊ぶことには普通に慣れ親しんでいました。
家族で山に登ることはありませんでしたが、
学校登山でいろんな山に登っていました。
自分で選んで登ってたわけではありません。
なので、そのころは好きとか、得意とかぜんぜんなくて、
好きでも嫌いでもありませんでした。
当たり前に自然は目の前にあったので、
それは趣味とかそういう特別なものではありませんでした。
やはりのめりこんだのは先生になってからです。
山というか、アウトドアにのめりこむきっかけとなった印象的な出来事があります。
新規採用で先生になってすぐの4月29日に行われた歓送迎会のときです。
青梅市の近くの五日市町の「黒茶屋」というところが会場でした。
黒茶屋の送迎バスに乗って会場まで行く途中で、
青梅市と五日市町の境目にある「二ツ塚峠」というところを通ります。
送迎バスの車窓から見えた山々の新緑が私の目に飛び込んできました。
それはそれはなんだろう、もう美しすぎて眩しくて、
たぶん今見たらそんな風には心動かないんだろうけど、
その当時の自分にはその景色はもう涙さえ流さんばかりだったのを覚えています。
大学時代とプーの時代、恐ろしく真っ黒に近いグレーな時代を激しく後悔したのを覚えています。
この緑は、自分が子どもの頃あたりまえに見ていたものだったのに、
なんで今はこうも遠いもの、思い出さなきゃいけないものになったんだろう…
取り戻さなくちゃ、はやくこの中に自分は行かなきゃと突き動かされていました。
そういうわけで、ここから私はウィルダネスの世界にどハマりすることになります。
(続く)
料理 22
大学5年生から本格的にはじめた山田電機工業所の仕事ですが、
6年生で卒業した後も教員採用試験もだめでしたので、
ここの3号さんに、ここへの入職を勧められました。
3号さん?なにそれお妾さん??と思われるかもしれませんが、
この会社には、1号さん、2号さん、3号さん、4号さんがいます。
実は4人兄弟です。全員男。
1号さん(長男)が社長さんです。
3号さんは3男、4兄弟の中では一番とっつきやすい優しい人でした。
3号さんに勧められ、ちょっとマジに自分の先行きを考え、
あいまいなまま「そうしようかな」と答えたところ、
社員寮を勧められました。
場所は百草園。
ここにしばらく住むことになりました。
私のほんとの住居は小平市でしたが、
そこはそのままにして2拠点生活がはじまりました。
(続く)
山のぼり①
前記事に、日本百名山の登頂記録がありますが、
私はけっこう山好きです。
いつ頃からなのかなぁと思い出してみると、
「ある時」山に登って感銘を受けた!ってのがきっかけではなく、
本から入ったのだと思います。
登り始めたのが、非常勤で先生を始めた頃だったかと思います。
ちょうどこの頃、椎名誠や野田知佑あたりの「怪しい」面々にハマっていた頃で、
そこらへんに感化されてアウトドアの世界にのめり込みました。
非常勤を1年間やって、本採用の赴任地が、
東京の多摩地区「青梅市」だったのも拍車をかけたと思います。
まあ、目の前は山だらけですので。
初任校は、学校の前が「大塚山」というちっちゃなちっちゃな山で、
そこから始まる「永山丘陵」がそのまま奥多摩の山塊に続くという、
「ほれほれ山においで〜」という場所でしたし。
新採用の年度が2年生担任、
折しも「生活科」初導入の年度で、
何やっていいかもわからず、
毎時間外に飛び出して、子どもたちと一緒に近隣の山野を遊びまわっていました。
「料理」シリーズに書いてあるように、
大学時代から就職するまでに自分は破滅的に自堕落な生活を送っていたので、
「青梅」での生活や仕事は日々心洗われる日々でした。
(と書くと聖人君子みたいになったかと思われるかもしれませんが、まったくそうではない。笑)
(続く)