社会のノート(飛鳥時代)

昨日は運動会。
8段ピラミッドも5段タワーも成功しました。
入場の時からすでに涙目でした。
子どもたちの力を改めて再認識です。
子どもたちってすごい!!




社会の飛鳥時代の学習が終了。

教科書、資料集を使って2〜3時間でまとめていきます。
興味付けのための最初の20分、終末のための先生の自己満足のための「語り」の20分間ではさみます。
飛鳥時代の興味付けはこの図。

この絵、有名ですね。
拡大コピーして黒板に掲示しました。
本当にこれが聖徳太子なのか真偽のほどは定かではありません。
聖徳太子なんかいなかったって学説もあるくらいですからね。
まぁそれはおいといて…
まん中の人物が聖徳太子です。
子どもたちも知っている子が何人かいます。
ではその両側は?
これはほとんどの人が知らないでしょう。
左側が殖栗皇子(えくりのみこ)、聖徳太子の弟です。
右が山背大兄王(やましろのおおえのおう)、聖徳太子の息子です。
これまた真偽のほどは定かではありません。
そう言われているだけです。
右の山背大兄王の末路についての話をしました。
悲劇的なお話です。
聖徳太子の一族は、太子の没後、20数年でことごとく誅せられ、
滅亡しています。
聖徳太子ほどの人物の一族がなんでそんなことになってしまったのか?
興味ありますね〜



終末の20分間は、
1 聖徳太子の事績はほとんど実際は意味をなさなかったけど、その理想としたことはのちの政治に大きな影響を与えたこと。
2 聖人君子っぽいけど、太子はかなり好戦的で、戦争や朝鮮出兵など、武力政治や武力外交もやっていること。
3 蘇我氏は嫌なやつ!っていうイメージが強いけど、この一族はかなり政治手腕が高く、バランス感覚も優れており、私利私欲の権化でもなかったこと。よ〜く考えると、蘇我氏を中心とした有力豪族の合議制で天皇を決めていた(そのころは天皇の子どもが次の天皇になるということはなかった。豪族連合の長を決めるというスタンス)時代から、天皇中心の独裁政治への移行であったこと。けっこう民主的だったのにね。蘇我氏もこの時期の日本の形成に大きな事績を残したこと。物事を一方からのみの目(ここでは天皇側から)で見ると、真実が見えなくなるよ。歴史では、勝った者の見方で歴史がつくられるからね。
って話をしました。




子どものノート。
ギャラリーウォークでお互いのノートを見合い、
コメントを付箋で貼っていきます。


私のイメージマップ。
私も一緒にやってモデルを示します。


私のマップにも何人かの子がコメントしてくれました。

「1ページ(?)なのに図になっているから、一目見てすぐわかる!!」
「よくわかる!! どんどんつながっていくのがすごいわかりやす!!」
「わかる!! 人物とかの関係とかおもしろい!! うまいー☆」
「関係がすごくわかるからいい!!私には書けない…。くもの巣みたーい!!」
「くもの巣みたいな書き方がおもしろい!し、わかりやすい!人物関係がわかりやすい!絵も分かりやすくていい!!」
「めちゃくちゃ先生は頭がイイ!!」



やさしい子供たちです。