もう一人の授業参観記

もう一人の授業参観記
もっさんです。
変わった切り口でおもしろいです。
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遅くなってごめんなさい。
そして授業ありがとう。
以下、フィードバックです。
今日はあえて否定的な立場の人に気持ちになって、
そこからKAIのクラスを捉えてみることをしてみました。


A 授業にあいさつがなく、授業中の規律がない。
B プリントだけで学習が進んでいて、先生が教えていない。
C 子ども同士で教え合っているが、決まった子としか教え合っていない。
D 子どもから意見を引き出して、全体で共有する時間があまりない。
E 教室にものがあふれていて、子どもが混乱する。
F グループ形式の机の形が常で、教師が話をしていても下を向いている子が多く、聞いている様子が感じられない。
G 作家の時間で、後ろの窓側席の男の子たちはいつまでも書き出 さず話をしていた。
そこで、全て書くと大変な量になってしまうので、いくつかの点だけ、簡単だけど感じたことを述べてみます。



A 授業にあいさつがなく、授業中の規律がない。
→授業は授かる物ではないからかな、と思いました。主体的に学ぶスタイルが子どもたちに定着していればいるほど、ですね。「先生→子ども」の学習するスタイルではなく、「子ども―子ども」に先生がくっついている感じ。これは算数も作家も、同様に感じました。



C 子ども同士で教え合っているが、決まった子としか教え合っていない。
→今日だけで判断するものではないから何とも言い切れないけど、6年生にもなれば自然なことで、真に男女関係なくとか、誰でもとか、それは本当に求められているものではないと思う。同姓だと話しやすかったりするのは当然のこと。不自然な教え合い(男女ではっきり分かれている・特定の子の周りにばかり集まる・常に同じ子としか学ばない)がないことが何より自然だった。正に、「社会的生物としての人間」として自然な姿でした。社会的な生き物であることを忘れて全員が関わることをあまりに強制しても、それは授業の中だけのおかしな関わりになってしまう。



F グループ形式の机の形が常で、教師が話をしていても下を向いている子が多く、聞いている様子が感じられない。



G 作家の時間で、後ろの窓側席の男の子たちはいつまでも書き出さず話をしていた。
→「前を向いていれば聞いているのか」という問題。「話していれば、学んでいないのか」という問題。Gに関しては、ほとんどは作家のテーマに関係のある内容だったけど、たまに脱線していた。KAIが近づいていって何か言葉をかけていたから、あれが待ちの中にあるちょっとした援助だったり、後押しだったりするのかなと感じた。
けんじも述べていたけど、心地良い静けさが秀逸でした。あんな空気がいつも流れるクラスだと、子どもも先生も穏やかに接することができるだろうなぁ。



最後に・・・
自分はKAIのスタイルは尊敬しているし大好き。だから自分もこういう教育をしたいなといつも思うけど、やりながら「いまこの形で慣れていっても、他の先生でも、この子たちは不自由なく過ごせるのだろうか」ということはいつも不安になります。「ここで身についたものが、他の先生では障壁になってしまうのではないか」とか。これはいつも自分の中の大きなテーマです。
また機会があれば、このことも話させてね!
ありがとうございました。

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もっさんが心配していることは実は私も心配している事です。
みんなどう思います?