51歳になりました

昨日誕生日を迎え、51歳となりました。
たくさんの方に、お祝いメール、メッセージ、コメント、プレゼントいただきました。
ありがとうございました。


人生で、これほど多くの方に、自分の誕生日を認知してもらえるのはとっても不思議な感覚です。
つい10数年前までは、自分の誕生日を祝ってくれるのは家族だけでした。
まあ、今は、ネットワークはその頃に比べれば数十倍の規模で広がっており、
SNSの中ではさらに自分の思惑の想像を超えて広がっているので比べるべきものでもないんですが、
それにしても驚きの今現在です。



今日は家族と食事に行きました。
まだ何者でもなかった時代によく行った近所のスペイン料理屋です。
その当時と店内はまったく変わっておらず、でも変わっている自分が落ち着かなかったです。
この感覚、なんだろう??
料理もワインもとっても美味しかったです。
料理の味もまったく変わっていませんでした。
変わらないことの大切さってあるんだろうな。
住宅地の中のまったく人通りもないところにある小さなスペイン料理屋ですが、
つぶれずに(ごめんなし)続いているし、今日も賑わっていました。



ママさんすごいね。
最後に訪れたのが10年前だったのに、
ちゃんと覚えていたよ。
その当時小さかった娘のことも。



自分はこれからも変わり続けていくんだと思います。
変わり続けないとやっていけない職業だと思います。
学事から出した本の場所にはもうすでにいないのは確実です(笑 ごめんんなさい)
軸はしっかりしているんだけど、もしかしたらその軸さえも変わっていくかもしれません。
わからないです。
ほんとにわからないです。



この51歳という年はどういう一年なんだろう。
そして、10年後は?20年後は?
今日参加したマラソン大会での最高齢は85歳の方でした。
その歳まで動いていられるんでしょうか?
もうすでに未練たらたらです(笑)
あせります。



以前小笠原の父島に行ったとき見た光景を思い出します。
教職2年目で、単身船に乗り遊びに行ったのですが、
限られた時間の中で、遊び尽くそうと朝から晩まで飛び回っていました。
ある朝、宿から借りた自転車で港まで出かける途中に、
何にもない浜辺の木の下でデッキチェアーに寝転がる地元のおじいちゃんたちを見ました。
私はガシガシ自転車濃いで港に行き、その日もヘトヘトになるまで遊び尽くしました。
で、また自転車に乗って宿まで帰る途中、その浜辺を見ました。
そこには、朝と変わらずデッキチェアーに横たわるおじいちゃんたちの姿。



この光景は、いまだ脳裏に焼きついて離れないんです。



何が幸せなんだろう。



私、大学生のころ、電気工事屋のバイトしてました。
新宿にある「山田電気」という会社です。(ヤマダ電気ではありません)
ここの仕事は、東急と契約があったので、
東急デパートとか東急ストアとかの現場が多かったのです。
現場には、壊し屋、経師屋、基礎屋、空調屋、鉄筋屋とか様々な職種が入り乱れての賑やかさです。
ちょうどこの時期バブル全盛の時期で、
こんな現場に日本人の若者たちはまったくいなくて、
ペーペーの下働きは外国人労働者ばっかりでした。
独身の若者ではなく、自国に家族を残してきているお父さんが多かったです。
過酷な労働だったと思います。
電気工事はたいした重労働ではないので、それと比べるとかなりのものでした。



でも、みんな幸せそうでした。
いや、生活は大変だったと思います。
家族と離れていることも苦痛だったと思います。
でも、家族のことを話している(んだろうなとしかわからなかったけど)ときはとっても幸せそうでした。
そして、めっちゃ気持ちのいい人たちでした。



もう一つ、国分寺で、朝までやってるパブレストランでもバイトしてました。
「ロード本店」と言います。
もうありません。
小金井にあった、「ロード三世」という店で大学一年から仕事を始めて、
ロード本店に移り、大学6年(笑)まで仕事やってました。
ここに来る客は、深夜2時あたりを過ぎると、客層が変わってきます。
お水の方々が増えてきます。
肉体系の男性、女性もやってきます。
そしてみんな一様に陽気です。
そしてそして、みんなとっても幸せそうです。
家族のこと、子どものこと、彼氏のこと、彼女のこと、自分のことをとっても幸せそうに話します。
もう一度言いますが、陽気です。



世の中には、幸せになる方法はごまんとあるんだと思います。
外国人労働者も、ロードの客も、たぶん(たぶんですが)学校は行ってないか、嫌いだと思います。
(ロードの客に関しては、聞き取り調査済みです(笑))




私たちは、子どもたちが幸せに暮らせる方法を教えているんでしょうか?
幸せに暮らせる方法を子どもたちは学校で、教室で、学んでいるんでしょうか?
そもそも、今現在、子どもたちは幸せな子ども時代を過ごしているんでしょうか?
今感じられない子どもが、大人になって感じられるのかなぁ…



私が出会った人たちは、とっても幸せそうでした。
その人たちは、学校以外のところで学んだんだと思います。
だって、学校行ってないか、学校や先生がキライだって言う人がほとんだなんだもん。



でも、どこでも学べてない人もいるんだと思うんだよね。
幸せになる方法をですよ。
幸せになる方法を学べる場所を見つけられずにいる人多いと思うんです。
一番学べると思われる「学校」に失望している人多いと思うんです。
これ、やばいと思うんです。



私たちは何をしなきゃいけないんでしょう??
幸せになる方法は、一部の人のいう数値として表れる「学力」ではないと思うのです。




世の中のいろんな人たちがいろんなカタチの幸せをつかんでいるんだと思います。
多様な人がいれば、その幸せのカタチも多様なはずです。
父島のおじいちゃんたちも、東急デパートの外国人たちも、ロードの客も、
昔はみんな小学校に通ったこどもたち。
そして今目の前にいる子どもたちも、
幸せのカタチをつかもうとしている人たちですよね。
その手助けを私は仕事としたいです。



でも、自分の幸せもね、大切に。