ぼくんち(再読)
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/11/08
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/11/08
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (2件) を見る
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/11/08
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (2件) を見る
西原理恵子さんは私と同年代です。
少年時代は高知の港町、私は鹿児島の鹿屋市の郊外。
そこに描かれる風景は、とても懐かしく、そしてとても胸が詰まる。
高知時代のマンガはいろいろと出ていて、
子どもが主人公の話がほとんどなのだけど、
一様に皆、貧しい。
そして我が家も貧しかった。
最近、「貧困」とか「格差」とかよく言われるけど、
いまいちピンと来ないのはなぜか。
それは、今はそんなでもないという自分自身の過去との比較からきているんだと思う。
昔に比べれば…という感覚なんだけど、
こんなこと言ったら怒られるのかなぁ。。。
いろいろと調べてみたんだけど、
貧困率(相対貧困率と絶対貧困率)のデータの解釈も様々で、
何が信用できるんだか分かりゃしない。
2010年にはじめて日本の相対貧困率が発表されて一気に注目されてきた問題ですが、
私の少年時代の相対貧困率はどうだったんだろう??
たぶん、今より低いんでしょうね。
だって、みんな、みんな貧しかったもん。
ほんとに。
今の子どもたちが、「当たり前」のように享受しているものが、
私たちの昭和30、40年代には当然のごとく「当たり前」のようになく、
様々なところで「選択肢」が非常に少なかった。
衣、食、住の基本的な生活、
生きていくだけで大変な家もあった。
西原さんのマンガに出てくるような家に私は住んでいたし、
それよりひどい家(家畜の小屋?)に住んでいる子もいた。
そして子どもたちにとってみれば進学や就職の「選択肢」
この「選択肢」がないというのがたぶん一番の悲惨なことで、
一番理不尽なことなんだと思うのです。
女子は男子よりもっと厳しかったと思う。
私の親の世代はさらにもっと輪をかけて理不尽だったと思います。
ほんとに理不尽な世の中だったと思う。
そして、世の中はどんどん便利に豊かになり、
「選択肢」もどんどん増えていった。
もし、今問題になっているとしたら、
それは相対貧困率ではなく、絶対貧困率のような気がします。
(でも、昔に比べればはるかに少ないとは思うけどね)
また、相対貧困率の高さで浮き彫りになってくるのは、
みんなが一様に貧しいのではなく、「格差」の表れの問題なんだと思う。
この「格差」に関しては私にはどうしようもない。
一国民として憂いはするけど、仕事としては他の人に任せます。
よろしく。
「格差」はおいといて、「貧困」をランドセルと一緒に背負ってきた子のことを考えよう。
その子の貧困自体を解消することはこれまた私の仕事ではないです。
その子が背負ってくるであろう物理的なハンデも私にはどうしようもない。
クラスというコミュニティを、あらゆる社会的な問題を解決できる、
これからの未来を生きる子どもたちの「核」にしなければだと思うんだな。
たかが40人弱のコミュニティの中でそれを実現できなければ、
これからさらに修羅場になるであろう子どもたちの未来社会で太刀打ちできないと思うんです。
みんな幸せになってほしい。
毎日楽しく過ごせる人生を送ってほしい。
いかに貧しくても、幸せになる方法はたぶん山ほどある。
だから、まず、このクラスからそれを実現できるように先生たちはがんばろう。
自分で自分の人生を切り開く力を身に付けていってほしい。
学力かもしれない
体力かもしれない
アーティスティックなパフォーマンスかもしれない
人間関係構築力かもしれない
クリエイティビティなのかもしれない
なにがなんでもっていうど根性なのかもしれない
まあ、なんとかなるさっていうしなやかさかもしれない
その子なりの「何か」生きるための知識、技術、経験を、ここで学べる場をつくろう。
ここでそれを実現できなかったら、それは先生の怠慢だな。
なんにせよ、「日々楽しい」ってことがまず第一だな。
そしたらたいていのことは乗り越えられるような気がする。
家族バラバラになり、親戚のじいちゃんに引き取られる二太は、
最後無理矢理笑顔をつくって笑っていたけれど、
笑顔が自然に出てくるようなクラスをみんなで創りたいものです。
「ぼくんち」には、学校の話は一切出てきません。
一太も二太も行ってる年令だと思うのですが、学校も、学校の先生も一切出てきません。
これは西原さんの意図するところだと思います。
他のマンガにもほとんど出てきませんが、
ちょいと出る時には、すべてその子にとって「マイナス」の存在として出てきます。
顔さえも描かれません。
失望されているんですね。
主人公の一太も二太も自分の境遇を考えるんですが、
どうしようもない理不尽な世界にいることを理解しています。
でも西原さんはそこを標的にしているようでしていないようで…。
ちょっと難しいことを考えすぎました。
さて、どうしたもんか。
なぜ私がこんなことに悩んでいるかというと…
秋口には分かるでしょう。
誰か、私に、「貧困と格差」についてレクチャーしてくれる人はいないでしょうか?