人間到処有青山

将東遊題壁     釈 月性

男児立志出郷関
学若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山



私の故郷は鹿児島です。
鹿屋市に生まれました。
そこから、都城、宮崎、福岡、川内と移り住みました。
ですので、転校ばかりで、
小学校3つ、中学校は2つ、高校も2つ行ってます。
大学生から上京し、小金井、小平、青梅、狭山と移り住みました。
途中、数ヶ月、百草園と南三陸に住んだので、
居住地は全部で11ヶ所になります。
住んだ家はなんと、17軒です。(同じ土地で引っ越しをしているから)
どこもいい処でした。



風越学園の「あさのーと」で「いまやりたいこと」というお題が出たので、
「軽井沢散歩・サイクリング」と書きました。
私は、引っ越しをするたびに、その土地をくまなく歩き回り、探索します。
小中高のときは、長期休みの前の学期末に転出し、
休み明けの学期初めに転入してましたから、
その長期休みは友達もいないので。「一人」なんです。
日々一人探索を繰り返し、いろんな発見をしてました。
楽しいんです。



教員になってからは、新しい勤務地もひたすら歩き回っていました。
青梅、瑞穂、羽村、南三陸西東京
だから、次は、軽井沢なんです。
どんなところなんだろ…
観光で軽井沢は何回も行きましたが、
居住するとなると「見る目」が変わってきます。
私は史学専攻なので、どうしても歴史的なものに目を奪われてしまいます。
歴史的な建造物とか遺跡とかはまあおもしろいけど、そうあるもんじゃない。
そんなたいそうなものじゃなくて、
なんでもいいいので、その土地の歴史を感じるものを探しちゃうのです。



探索に際し、まず注目しなくいちゃいけないのは、「道」です。
古い道を見つけると、探索が一気におもしろくなります。
古い道の見つけ方…
これは相当な確率で当たります。
「新しい道に『斜め』に流入している道」です。
ふつうの交差点のように、直角に交わっている道は、互いに新しい道が多いです。
しかし、まあ、ちょっと感覚的なところもあるんですが慣れてくると分かりやすいと思います。
旧道を新道に造り替える時、田畑のところはそのまま造りかえますが、
街の部分などは、工事しにくいし、拡張しにくいしで、そこを避けて新しい道を造ります。
バイパスですね。
そうなると、新道に沿って旧道が生まれます。
ですから、旧道はこのバイパス(新道)に対して「斜め」に流入することになります。
よく海岸線を走っていると、入り江の部分で、海岸線の国道に斜めに入る道があり、
その道沿いに古い街並みが続いているのを見かけることがあると思います。
こんな感じで見つけた旧道を歩くと、いろいろなものが見つかります。
家、蔵、木、店、石、用水路…歴史的な遺物ではないですけど、
どれも私にとっては趣き深い(笑)



さらにマニアックになると、この旧道の中に、
◯◯街道というのも現れるときがあります。
これくらいになると、旧道に旧道が交差していて、
さらに旧道沿いの町並みが衰退して、何も残っていないという状態にもなります。
瑞穂町に、16号バイパスに旧16号が斜めに流入し(ここには箱根ケ崎駅前の古い町並みがある)、
さらにそこに、日光街道(この日光街道八王子千人同心が通った道ね)が斜めに流入(ここには箱根ケ崎の古い町並みがある)、
さらには、青梅街道が交差し(ここには箱根ケ崎のさらに古い町並みがある)、青梅街道から岩蔵街道が派生しています。
一番古いのは、日光街道に斜めに流入している鎌倉街道、これは見た目全然分からない(地元の社会の先生に教えてもらった)。
そこにはもう何も人家はない、ただの道です。
そんなところを歩くのは、とてもおもしろい。



うちの近所の国道16号線や299、407号線にも、
旧道が斜めに流入している箇所がいくつかあります。
ここはひたすら子どもたちと自転車で探索しまくりました。
狭山も古い町並みがけっこう残っていて趣き深いところがあります。
さて、軽井沢はどうでしょう?
楽しみです。



軽井沢に住むとなると、そこが12ヶ所目、18軒目の家になります。
鹿児島を出るときは、男子たるものひとたび志を立てて故郷を出たって感じではないですが、
今、「学を成す」ことの最後の集大成に来ているのは感じます。
まあ、墓場がどこになるかは気にするところではありませんが、
軽井沢が青山であることは間違いなさそうです。