支援

中原淳さんのブログから

http://www.nakahara-lab.net/blog/2010/02/post_1644.html



私達教員がなにげに使っている「支援」という言葉、
よくよく考えてみると、こんな難しい要素を含んでいるんだな。
前半部分の、「意図」についての項は、
日々のいいかげんさが身にしみます。



「意図を理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのこと」
この部分には言及してませんが、この部分もかなり難しいことが書いてありますよね。
えてして私たち教師は、その学習者の意図を無視(理解せず)し、
その個人の学習者の行為の質を維持・改善するのではなく、
教師側の意図通りに学習者の行為や思考を誘導または促進するような言葉かけや働きかけを「支援」とよんでいるような気がします。




指導案の本時案によくある教師の「支援」という項、
ほんとに「支援」になっているのか考えてみるべきでしょうね。



学習者の「意図」が、まったく全員同じであることはあり得ません。
ならば、一斉指導、全体指導なんていうものはあり得ないわけで、
そもそも、「指導」と「支援」が同時に案の中にあるのも不思議な話で…。
しかし、こうなると「指導」の定義まで引っ張り出さなくちゃいけなくなるんでやめておこう。
私自身が、「指導」という言葉にとても懐疑的であるので…。



ライティングやリーディングのミニ・レッスンやカンファランスは、
先生が子供に「教えて」いるけれど、
あれは「指導」ではなく「支援」だと私は思っています。
特にカンファランスは、まさに「支援」の定義通りのことが行われいるわけで、
「支援の解除」に関してもかなり答えが出ています。



今こねている、イエナプランに関しても、
この「支援」が当たり前のように行われていると思います。
まだこちらの方は暗中模索の段階ですが、
ホントの「支援」がその中にあるような気がしています。