質問への回答と雑感①

○「周りの大人も口を出してよい、周りの大人に聞いてみな」

 なんか、ぶすっと刺さりました。今までに、研究授業その他で“おエライさん”が「授業者以外が子どもと話してはだめ」と言うのを何度も聞いたことがあります。やっぱりそれはおかしい。子どもの学習成果を見取るテストのような場面は別ですが。先日の学習では、子ども達の思考を広げるねらいのために、周りの大人も学習に生かせるツール・環境だったということ。また、話し合いには子どもと社会の接点がよく表れていたけれど、大人を交えることで更に、学びが教室や授業の中に限定されないものになっていました。



さとこさんの質問に答えながら、自分自身の考えをまとめていきたいと思います。
こういうふり返りっておもしろい。



上記のことですが、
これは最近とみに思っていることなんです。
学校って、先生以外大人がいない…。
いろんな人がいろんな仕事をしているはずなのに、
子どもの目には見えないように、見えないようにしている。
事務職員、給食調理員、警備員、トイレ掃除業者、校庭開放補助員、校内清掃員・・・
様々いるんですが、子どものいる時間帯に仕事をやらせてもらえないか、
子どもの目に触れさせないようにしている。
話をするなんて、まったくもって皆無だ。
社会性を身につける場で、社会の一角をまったく見ることができない。
触れることもできない。
多様な大人がいる、多様な仕事がある、多様な思いがある、でも、まったく気付けない。
大人になるための準備をしているのに、それを分かってもらえる最大の教材?の大人がいない。
学校以外のところで、子どもたちは学ぶしかない。
んじゃ、学校って、何するところなのよ…残念…。
普段の学校生活の中で、多様な大人と交流する必要があるよなぁ…と思うようになった次第です。




前任校には、「あこがれ夢広場」っていう行事があって、
そこには大人の職業人、趣味人がぞろっと子どもの前に現れて、
子どもの目の前でプロの技をデモンストレーションしたり、
一緒にワークショップ形式で体験したりするんです。
しばらく担当していたんで、
りょうちゃん、にのさん、kuni、とも、にしやん、きりんのだんなさんなどなど、
知り合いもいっぱい呼んで子どもたちと一緒に遊んでもらいました。
一日だけの行事ですが、この日だけはいろんな大人が学校の中に現れるんです。
こういうのって、ほんと必要。
毎日やってくれたらいいのに。(笑)



ちょっと、話がそれてしまった。。。



というわけで、いろんな大人を学校に呼びたい。
そして、それが、「ゲストティーチャー」とか特別なものではなく、
普通の大人が普通に出入りして、子どもの学びにかかわっている状態にしたい。
今一番近いところにいるのは保護者の方々なので、いろんなところで声をかけています。
基本、教室には、いつ来てもOKにしています。
事前に言う必要もなし。
自由に来て、自由に帰っていくシステムです。




でも、それで来る人はいまんところ一人。
あとはやはり、イベントがないときっかけにはならないですよね。
イエナプランで言うところの「催し」というもの。
これだとけっこう見てくれます。



さて、今回は、一歩さらに先に進んでみました。
「参観」ではなく「参画」です。
授業や活動中に大人が参加して子どもの学びを支援するといったもの。
今回はワールドオリエンテーションで試しにやってみました。
これは前の方の参観記に書いたので割愛・・・。
大人をリソースとして使えると、一気にリアリティが増します。
ネットや本で調べるより、やはり生のほうがいい。



最初のサークル対話での大人参画授業は、大人も子どももぎくしゃくしっ放し。
なので、私がいっぱいしゃべりすぎちゃって、
女の子にファシリテーター降板を言い渡され、
ファシリテーター交代となったわけです。
WBMにすると、一気に話が活発化しましたね。
やはり、このツールは素晴らしい。
うちのクラスは「愚直」にはあまりやってません。
ご指摘の通り、オープンクエスチョンも書き方も、
各個人のまったくもって自己流です。(あ、ちゃんと教えはしましたよ)
流れもしっかり理解しているはずです。
互いに聞き合う関係性は、
PAやサークルタイムの効果が一番だと思います。



あの場で、子どもにふられた大人はどれくらいいたんでしょう?
ちゃんと答えられた大人は?
または、積極的に介入しようとした大人は?


変えなきゃいけないのは、大人の意識なのかもしれません。