授業参観記③

3人目はさとこさん。
ありがとうございました。
なかなか鋭いです。

**************************************


1.授業ごとに印象的だったことや言葉、いくつか


<WO>(ワールドオリエンテーションのことです)


○公式発表時間割に「WO×サークル対話」と明記されていた衝撃!笑


私がもしやるとしても総合や社会の単元名にしておくことしか考えていませんでしたが、敢えてこの言葉を使っていくことのメリットについて、考えてみています。



○「周りの大人も口を出してよい、周りの大人に聞いてみな」


 なんか、ぶすっと刺さりました。今までに、研究授業その他で“おエライさん”が「授業者以外が子どもと話してはだめ」と言うのを何度も聞いたことがあります。やっぱりそれはおかしい。子どもの学習成果を見取るテストのような場面は別ですが。先日の学習では、子ども達の思考を広げるねらいのために、周りの大人も学習に生かせるツール・環境だったということ。また、話し合いには子どもと社会の接点がよく表れていたけれど、大人を交えることで更に、学びが教室や授業の中に限定されないものになっていました。



○話し合いとWBMの活用について


・初めに3つの問いがあり、今日は何をテーマにすればよいのか私はいまいちインストラクションから理解できていなかったみたいです(汗)。でも、子どもたちは全然迷わずに始めていたし、カイさんの意図した通りだったのですよね。


⇒カイさんが「上手くいくか分からないけどやってみよう」と言っていて、子ども達も細かい指示がなくても行動に移れる。アウトプットを恐れないというか、上手く(きれいに?)やることが大事なんじゃないという感じ。私は悩みすぎて踏み出せないことが多いし、失敗しないように子どもを縛りすぎかもと思いました。


⇒この日は、「変化したこと」を話し合い、最後に自分が探求したいことを決める一歩手前くらいまでだったかなと思います。子ども達が赤丸で囲んだことから、個々のテーマ設定がどんなものになっていくか想像がつかないのですが、あの三つの問いに対応させていく形でオペレーションするのでしょうか?また、「調べ学習にならないように」というような言葉がありましたが、だとしたら、今回のWOは当該学年で求められる知識(所謂教科書のコンテンツ)の習得とはある程度切り離しているのでしょうか。そもそも、価値創造型プログラムの作り方として、核にされているのは…?コンテンツの探求でも既存の観点別評価項目でもなく…?WOって何だろう。“日本の公立小内でできる”WO、とか考えているからだめなのか…?オランダイエナのWOには、知識探求も含まれるようでしたが、カイさんは、子どもたちが今持っている知識や考えを主に使わせようとしている??この辺りのところ、よかったら教えて下さい。



・WBMで正解のない話し合いをすることで、子ども達の思考がとてもアクティブになっていました。私は一度WBMを取り入れようとして、技術習得にかかる時間と労力に挫折…「愚直に練習する(させる)」っていうのが辛かった。それは、WBMが目的になっていた&学習に有効利用されているところを私自身が生で見たことがなかったからかもしれません。今日見ていたら、あまり書き方やオープンクエスチョンにこだわっていなかった。取り入れ方を考えて、再度挑戦します。



・カイさんが中に入って支援していたこと。また、道徳でも思ったけど、「これが大事」のような示唆をするときもあったこと。ファシリは意思を出さないのが理想だと思っていたけど、ちょっとした意思表示が子ども達の思考を活性化するための方向づけになってそれも悪くないのかな、というかゼロを目指さない方が自然なのかな。




<算数、百分率>


○「自立した学び手になるために」「課題解決の諸能力」


具体的に子ども達にもう伝え、意識させていること。


○ミニレッスンの内容


 その時間に活用できて、戻ってこられる。


○学び合い


・私は実践経験なしですが、個の進度や理解度を大事にし、学習を子ども達自身の意志で進めさせていくところは、やはり魅力的な方法・形態。先生チェックをきちんとすることによって、個の見取りを(一斉より)確実にできるんだな。


・「算数も苦手、たくさんの人と学び合うことも苦手」な子にとっては、とても過酷な時間になること。見ていて、窓際の前から3番目にいる男の子がとても気になりました。2回くらい隣のメガネ男子が解説してくれていたし、向かいの男子も気にかけてくれていたけど、だからといって進めていくのが辛いことが変わるわけではなさそう。


⇒自分が分からないことを自覚して能動的に学んでいくことは必要だと思う。窓際の彼にとってそれが課題、ということなのか。実は私自身が、算数もだけど、分からないことを教えてもらうのも苦手。学び合いの勉強会で、大人同士の学び合いを経験したけど、学び合わなくちゃいけないという前提に疑問や息苦しさを感じてしまった。自分自身に偏りがあるから、学び合いにやや消極的になってしまうんだな。また、彼のような子の算数力&学ぶ力をどうやって高めていけばよいのかなと考えていました。


⇒教科書の問題を解いて頭の中で抽象的な処理をしていくだけでは、百分率の便利さや面白さに気付けない子もいそう。実生活を引き寄せるような算数を工夫したい…例えば、私は今日ドラッグストアで、エルモアクリネックスともう一つのティッシュBOXのどれが安いか必死に1枚あたりを計算したのですが(笑)、こういう算数的思考の能動と、問題を進んで解く能動はまた別な気がして。でも前者を教室に取り込んで且つ当該学年の内容を習熟させるのは、難しいのかなぁー。


<道徳>


○モラルジレンマ教材


・「相手を打ち負かすのではない、違う考え方を理解するために」というところ。


とても大事だと思いました。私もこの形でやってみたい!


・ねらいと評価が「自分なりの価値判断、理由づけ」というところ。


 とても大事だと思いました!徳目評価主義時代の到来に向けて再確認しました(笑)



2.各時間を通して私が関心をもっていたこと


○学習形態


・普段が3つの号車の形って、小班ごとよりいいかも!


・いつもすみやかに移動できる皆さん。私のクラスはここで時間がかかってしまう…理由は色々あるなぁ。精進します。


○「聞く」に対する指導というか、カイさんの構え方


・聞くことをどう教えたらいいのかずっと悩んでいるので、自然ととても気になりました。聞くことが大事だと伝えたいのだけど、全員が「聞いている」状態をつくるために、どれほどの時間を費やしてしまうことか。(近年居た管理職が病的にこだわっていて、「聞いている=とにかく物音一つ立てず、微動だにせず、とてもよい姿勢で立っている又は座っていること」だと。更に「最後の一人がやるまで待つ」の徹底を求められてきました…。)一生懸命モグラ叩きみたいに声をかけているうちに結果として子供を飽きさせ、自分を“取り締まる役”におとしめてしまう。低学年では反射を利用した合図を使ったこともあるけれど、高学年では徹底しないと分かっている…私自身がそういう子供だましは大嫌い。「聞く」かどうかは聞く人の自由で、私自身もどのようにどれくらい聞くかをかなり選んでいる。で、「聞かせる」って何か。


あまり注意ばかりにならないようにとおしゃべりを容認していると、聞いて欲しいところも聞いてくれない、聞けない。ある程度の「聞く」指導は必要だと思うのだが。特に、普段の座席が一般的な前向きでない場合、「おへそをこちらに」を毎回やらなければならないのは、お互いに疲弊してしまう。


・カイさんのクラスは、ところどころざわざわしている、と思いました。朝の連絡は必要なことだけだったけど、その間もシーンとは求めていませんでした。8:25、「なんと、一次審査」の声で、どうやら授業が始まったようでした(笑)。聞きたいことだから、子どもは一気に注意を向けていました。究極的には、必要なことだけ、子どもの関心があることだけ話せばよいのだろうと考えてはみても、私は無駄な言葉が多くてなかなかできていないなぁ。


・WBMのインストラクションでは、体を向けさせてきちんと全員の「聞いている」をつくっていました。それがとても自然で、ついつい“圧”をかけることになってしまう私…また反省。WBMは、子ども同士の間に「聞く」が発生するところも、やはりとても魅力的。それも、ちょっと雑談まじりでもよい雰囲気でした。あぁ、私は雑談らしきものを阻止しようとしていたかもしれない。でも、雑談とお学習の境目って?明らかに学習とそれている言動は別として、何よりもまず子ども達の活動を保障することの大切さ。


・道徳で友達が意見を言っているときも、少しざわざわしていました。でも、ある男子の発言から、キュッと、みんなが集中した瞬間がありました。挙手と指名で始めても、カイさんはそこですっと、主導権を子どもたちに渡していました。この転換を目撃したことは、財産です!!教師の交通整理が必要な場面と、子ども達の力で対話させる機会が、無理なく自然に流動していること。こうやって、子ども達は無理なく自然に聞いたり話したりして成長していくのですね…。


最後に。学校では、無理矢理聞かせたり、話型・ハイという返事・起立などの決めごとで無理矢理話をさせることがしばしばですが、その必要性はやはり薄いんだなと今回学ばせて頂きました。でも、例えば返事とか敬語(丁寧語)とか、ある程度しつけとして教えていいかなければいけないこともあるなとも考え、それで縛りすぎないようにする加減に難しさを感じてきました。カイさんは、どんな機会を捉えて指導していらっしゃいますか。また、小学生としてどんな姿が目標だと思っていらっしゃいますか。よかったら教えて下さい。



感想をつらつらとになってしまった部分が多くてうざったかったかもしれません…学び多き時間を、ありがとうございました。たくさん自分の課題を発掘しました。機会があったらぜひまた参観させて下さい!


*****************************************


以上です。
こういうフィードバックって、自分のことをふり返るのに、とってもありがたいのです。
このあいだ、「KAIさんはクラスの現状をふり返る時、どのような思考過程を経験しているのか?」というインタビューを受けたのですが、
私はどうも自ら内省するのが苦手。
ログをとるのも苦手。
難しいこと考えるのもキライ。
人から言ってもらうのが楽。
絶対授業は見せない、言われたくないという人が多いと思うのだけど、
もったいないと思う。
学校って、いくらでも他の先生から学べる場があるのだけど、
先生たちが一番学んでない(笑)
子どもに「勉強しろ、勉強しろ」って言ってるわりには、
一番学べる場で一番学んでないのは先生という残念なことになっている。
校内研究はもっとひどい(大笑)


前の学校では、延べ50人以上の他校の先生が「授業見せてください」って言って、
授業を見に来てくれたけど、
同じ学校で働いている先生からは一人も言われなかった。
そんなすごい授業しているわけではないのだけど、
なんか新しいことやっているので、どう思うか感想は聞きたい。



今の学校では、何人かいるけど、やっぱり少ない。
私は、近しい人の教室には、勝手に入っていって授業見たり、子どもに話しかけたりするのだけど、
やってくれる人はいない。
あ、M氏だけは平気で入ってくるな(笑)



もっと自由に教室が行き来できたらいいな。
それは先生だけじゃなくて、子どもたちも。
なんかおもしろいことが起きそうな気がする。




ということで、質問はまた答え考えます。
ごめんなさーい!!
さとこさん、また遊びにきてね😄