料理③ ロード三世って?

さて、ロード三世の話に戻りましょう。

このお店はパブレストランです。

昼はランチがありましたが、メインは夜。

17時から、翌朝の2時まで営業していました。

今考えると、2時ってすごいですね。

居酒屋じゃあるまいし、今は、そんなお店あんまりない。

カウンターが10席くらい、

ホールに4人がけテーブルが4つ、

大きな半円卓が1つ、

全席合わせて30人ちょいは入れました。

カウンターはオープンキッチンです。

料理するところが丸見えです。

これがウリでもあったのです。

料理は洋食がメイン。

まあ、そんなに凝った料理はなくて、

オーソドックな洋食です。

パブと名がつくだけに、お酒も豊富でした。

この店で、いろんなお酒を覚えました。

このころチューハイが流行り出していましたので、

大学生はチューハイくらいしか飲んでなかったけど、

この店でスコッチやバーボン、ジンなどを覚えました。

ぇっ?働いてるのに?と思ったかもしれませんが、

オープンなんで、お客さんが奢ってくれるんです。

ビールやら、ウィスキーやら。

お客さんの前で、タバコも吸い放題でした。

おおらかな時代だ。笑

 

厨房なのかホールなのか、

募集の貼り紙には書いてありませんでしたが、

入職してすぐに、厨房に入りました。

大学1年生の夏休みに入る前、

ここから私の長い料理人生が始まりました。

(続く)

 

 

料理② アレキサンダー

このロード系列のお店、本店が本店ではありません。

総元締めは「アレキサンダー」というお店です。

国分寺アレキサンダー…というキーワードで「はっ!」とした方はかなりのジャズ通です。

ジャズ専門のライブハウスです。

多摩地区にあるのも珍しいですが、

この当時の国分寺界隈はけっこうアングラっぽさがあって、

不思議な混沌とした街でしたから。

アレキサンダーはジャズ界の大物の出演もあり〜の、

新人さんの登竜門としての場でもあり〜の、

店主の浅野康彦さんの人柄でけっこうな賑わいをみせていました。

アレキサンダーの思い出」

http://www.jazzin.org/arex.htm

 (2行目に書かれている「スナック」がロードだと思われる。スナックじゃないのに…)

 

私が浅野さんから聞いた一番面白かった話は、

ここの近所に住んでいた竹中直人さんが、

売れていない頃、アレキサンダーにやってきて、

「私をバンド演奏の前座に使ってください」と頼んで、

実際竹中直人さんはここでバンドの前座で一発芸をしていたそうです。

浅野さん曰く、「ほんとに食えてないみたいだからかわいそうだからやらせてあげた」

と話していたような気がします。(おぼろげ)

 

でも私は、アレキサンダーのことは、

働いている最中はあまりよく知りませんでした。

アレキサンダーには一回しか行ったことがありませんし。

この時、酔っ払って浅野さんに、

「おれにここでライブをやらせてくれ」と偉そうなことを言ったくらいですから。

ひどいもんです。

浅野さんは、ロード系列のカレーやデミグラスソース、ピザソースなどの仕込みもやっていました。

なので、ロードで出す料理はすべて浅野さんの味付けでした。

1990年、私がロードやめてしばらくして浅野さんはお亡くなりになりました。

アレキサンダーも幕を閉じました。

(続く)

 

 

料理① ロード

私は今、平日は軽井沢に単身赴任、

週末は狭山の家に戻ってきています。

いいかげん、一人暮らしが飽きたんですが、

これがあと数年も続くとなると、

ちょっと自分の残りの人生これでいいのかと考えてしまいます。

 

ということはまた改めて考えるとして、

週末は徹底的に料理をしまくります。

軽井沢ではほとんど満足に料理できないんで、

ここぞとばかりに料理しまくるんです。

 

なんでこんなに料理好きかという話をしていきたいと思います。

 

東京の大学に出てきて、

仕送りのお金だけじゃ足りないので、

ま、みんなバイトしますよね。

私が選んだのはオープンキッチンのパブレストランでした。

最初の時給はなんと500円でしたよ。

(それはダマされていると友達に言われましたが…笑)

特に料理や接客業がしたいというわけでもなかったのですが、

最寄り駅の街のある店の扉にアルバイト募集の張り紙があったから、

というのが正直なところです。

小さな店だったし、雰囲気も悪くなかった。

 

最寄り駅は「武蔵小金井駅

そこの店の名前は、「ロード三世」っていいます。

なんかかっこ悪い。笑。

ロードは道じゃなくて、LORDです。

領主とか君主とか、偉そうなやつです。

三世というからには、一世、二世もあるのかというと、

一世も二世も、国分寺にありました。

一世とは呼ばずに本店でした。

二世は私が入ってしばらくして閉店してしまいました。

1回行きましたが、「スタ丼(近所にあった今は伝説のあのスタ丼家のパクリ)FXⅡ改」とか、おもしろメニューがあっていい店でしたが…。

 

本店は朝の5時までやってる、国分寺では有名なパブレストランでした。

12時までは健全な店ですが、

12時を過ぎる頃になると、夜な夜な怪しげな客が現れ、

なかなかにエキサイティングな店でした。

お水の方とか、ドカタの方とか、おまえほんとに学生かよ…と思われる爆弾作ってそうな学生とか、明らかにあちらの方ですよね?というお方とか…。

国分寺は大学の多い街で、特に芸術系の大学が多かったので、

そいつらもかなりやばいくらいにおもしろいやつらが多かったです。

そんな人たちとおしゃべりしながら仕事するのは楽しかったです。

あ、この本店でも私は後半働いてました。

後半というのはこのロード系列の店に働いていたのは、

なんと、都合8年間なのでした。

ずっと厨房で働いていました。

(続く)

 

 

数えてみた!

百名山、数えてみた。

低い順にいってみよう!

 

筑波山

阿蘇山

霧島山

赤城山

谷川岳

雲取山

美ヶ原

霧ヶ峰

飯豊山

瑞牆山

大雪山

焼岳

浅間山

日光白根山

八ヶ岳

白馬岳

木曽駒ヶ岳

甲斐駒ヶ岳

乗鞍岳

仙丈ヶ岳

赤石岳

悪沢岳

穂高岳

北岳

 

24峰かぁ。。。

あといくつ登れるかなぁ。。。

蘇り

ダイナミックな自然に触れたのは、社会人になってから。

大学生じゃないのかいっ!と言いますな。

大学生なんか、酒と女と博打でしょうよ。

 

社会人になって1年目に、

歓送迎会の会場に向かう送迎バスの中で、

青梅の二ツ塚峠の新緑を目の当たりにして、

一気に昔が蘇りました。

そこからはもうひたすらに山、川、魚と追いかけ回しています。

 

先生になってしばらくして、

なんとも忙しい先生になってしまって、

いろいろとやることが多くて首が回らなくなり、

足も自然には向かわなくなりました。

ある時、息子の野球の応援で、

野っ原に腰をおろして手を土草に触れた時、

一気に昔が蘇りました。

「いつからおれは土の上に座ってないんだっけ?」

そう思いました。

 

そこからは少しずつ少しずつ少年の心を取り戻そうと努めています。

今は、毎日、森の中にいられるので幸せです。

自然

九州で過ごした各地は、

私のいなかであるのだけど、

そんなに「田舎」ではありませんでした。

鹿屋2位、都城2位、宮崎1位、福岡1位、川内3位と、

その県では人口の多いとこばっかりです。

なので、どっぷりと自然に浸っていたかというとそうでもない。

そして、時代が時代だけに、川も海もけっこう汚かった。

でも、家の中で遊ぶという選択肢はなかったので、

ひたすら外で遊び尽くしていました。

川遊びも、海遊びも、山遊びも、

一通り悪いこと含めて全部やりました。笑

「お手頃な自然」が大事なのかなぁ。。。

と、つらつら考えています。