最近、気になっていること

ちょっと最近気になること。
本を出したり、いろんなとこでファシリテートしたりで、少しは責任があると思っています。



PAの◯◯をやりました」という投稿をよく見ます。
これなんですけど、これはたぶん間違いです。
言い切るにはまだすんなりいかないところもあるので「たぶん」ということにしておきます。
ならば何か。
「◯◯でPAをしました」ならまだ分かります。
たとえば、◯◯の中に、「パイプライン」を入れてみましょう。
PAのパイプラインをしました」と、
「パイプラインでPAをしました」
ニュアンスというか、意味の違いが分かるでしょうか?
パイプラインというのは、アクティビティ名であって、これは「道具」です。
PAだけの道具ではありません。
ですので、これ「パイプラインでPAをしました」のどっちを言い換えてもOKなんです。
まずはアクティビティを入れ替えてみましょう。


「マシュマロリバーでPAしました」
「掃除でPAしました」
「かけ算の授業でPAしました」
「連れションでPAしました」
などなど。


では、行為のほうを替えてみましょう。
「パイプラインでレクしました」
「パイプラインで流しそうめんしました」
「パイプラインで宴会芸しました」
「パイプラインで運動会の競技をしました」
「パイプラインで合コンしました」
などなど。


こういうわけです。
アドベンチャープログラムは、アクティビティありきではありません。
日常のすべてものをアドベンチャーにすることも可能なわけで、
私たちの周りには無数の「アクティビティ」が存在しているわけです。
頭の中がPAの人はたぶん世の中がそう見えているはず(笑)
なので、すぐその場でPAすることも可能なわけです。
100個のアクティビティだけで(前に聞いた話では300個くらいアクティビティが例示されているらしいけど)PAができるわけではなく、
また、PA=アクティビティでもないのです。
アクティビティ100の本の中には、グループワークトレーニングの財と同じ作りのものや、
構成的エンカウンターグループやネイチャーゲームの実践の中から拾ってきたものも入っています。昔からある日常的な遊びも使ったりしています。
いろんなアクティビティを使っています。
アクティビティには「力」があります。
でも、日常的にアドベンチャーしていれば、そのうちアクティビティは必要なくなってきます。
(こういうとかっこいいけど、私はアクティビティが大好きなので、やっちゃうけどね)
PAは考え方だ」と昔はよく言っていました。
いまだに自分自身そこのところはよく分かっていません。
あっちいったり、こっちいったりしています。
最近は「生き方」じゃないかとも思っています。



実は私は、「パイプラインでPAをしました」にも相当な違和感があります。(笑)
「パイプラインをしました」でいいんじゃねぇの?って。
その話は、直接お会いした時にでも…。