授業参観記①

心に余裕ができたので…
というのは大ウソで、
こういう記事を書くのはたいてい切羽詰まっているときで、
まあ、要するに、逃避行動です(笑)


道徳授業地区公開講座という石原のうんちが始めたアホな日が東京の小中学校にはあります。
道徳が教科になると聞いて、ぐへへへと笑っていると思います。
この日は必ず道徳の授業をやらねばならない日と決まっています。
うちの学校は全学級公開授業です。


今現在、うちの地区には、3冊の道徳の教科書…じゃない副読本があります。
学校裁量の教科書会社の本と、市が定めた本と、東京都が定めた本です。
もうこれだけでお笑い草です。
いつ読むんだよ(笑)
後段のの2冊は、それぞれの自治体が、「こんだけ力入れてますよー」っていう対面を取り繕うためだけの本です。
しかもだよ、しかも…
もっと考えろよ、と思うのだけど、
構成がまったく同じ。
どっかの感動的な事例や人物出した読み物教材の域を全く出ない。
なんも考えてない。
底が知れる。



子どもの道徳観念が、どうやって育まれていくのか、
まったく研究していない。
「こうやりなさい」って言って、身に付くと思っているんだろうか?
この人の真似しなさいと言って身に付くと思っているんだろうか?
市の本はほんと最悪。
「これ誰?」って、たぶん子どもも、そして親も、さらには市民も思ってる(笑)
一番身近であるはずの市が、こんなこと言ってるのは、子どもは「は?」って思うよね。



「黙って」「座って」「聞いて」そんな道徳授業がこれからさらに蔓延するんだろうか…。


道徳って、人がよりよく生きるための道しるべだよね。
人が多様である限り、その人が生きるための道しるべも多様なはずだよね。
それを、一律に、「こうあるべき」と決めつけることができるんだろうか?
子どもが自分がよりよく生きるための道しるべを「考える」ことを許さないつもりなんだろうか。



考えるには、絶対「体験」が必要だと思うんだよね。
読み物教材では絶対分からないし、考えることもできないと思うんだよね。
さらには、教師の説話もいらないし、ゲストティーチャーのありがたい話もいらないんだよね。
よりよく生きる方法は、もっと泥臭く、失敗や挫折を繰り返しながら分かると思うんだよ。
でも、学校じゃ、リアルにそんなことあったらやばいからさ、
アクティビティでなんとか体験できるし、安心できる場である学級内の活動で体験できると思う。
あーだこーだ言いながら、こんな感じかなぁ…って分かってくると思う。



そして、それは、個々人の中で、一律に訪れるものではなく、
様々なタイミングで訪れるんだと思う。
その機会をしっかりとみとって、サポートするのが先生の役割なのではないだろうか。







って、なんだー!!
授業参観の訪問記を掲載しようと思ったのに、
その授業の紹介をするつもりが、
道徳の話になっちまったー(笑)



ということで、参観記はまた次回(ちょーいいかげん  笑)