イエナプラン校教育実習終わった。

金曜日にて、1校目の教育実習が終わりました。
同じ教室にずっといたわけではなく、
3グレード、4ファミリーグループに関わりました。
教育実習とはいっても、参観が主で、
日本で行うような、担当の先生のクラスにずっと張り付いて、
実習授業をメインにするような研修ではありません。
オランダ語分からないのですからしょうがありませんが、
もし分かったとしても,やらせてもらえたかどうかは分かりません。
それほど、イエナプラン校で求められる先生のスキルレベルは高く、
生半可な状態で授業できるようなものではありません。
それは、たった2週間でしたが、十分肌で感じることができました。
私は、日本の公教育に27年間携わってきましたが、
その中で、イエナプランに関わってきたのは、ほんの数年間です。
実践したつもりになっていたものは、「もどき」であることはすでに判明しています。
そして、この2週間で、「もどきごときでもない」ということがはっきりしました。
ブロックアワー、マルチエイジ、サークル対話、ワールドオリエンテーション等々、
日本の公立小学校の中で、かなりつっこんで実践してきたつもりでしたが、
ことごとく、まがいものにしかすぎないとはっきりしました。




はっきりしたのはなぜかというと、
実習で見たものから感じたもの、先生たちから聞いたもの、あり方からわかったのですが、
全部そこに、スピリッツがあるということ。
それが、カタチばかりの私の実践にはない。
これは大きい。
具体的には、それは何でできているかというと、
歴史であり、哲学であり、理念でり、そこに関わった人たちのたゆまない努力であり、
たぶん、それはどうにもこうにも簡単に言葉では表せないものです。
みなさんも、ぜひ感じてほしいなぁと思います。




これは先生から聞いた言葉ですが、
イエナプランの歴史は長いけど、それはまだ発展途上中で、
今あるものが完全なものではないということ(ちょっと言葉は違うと思いますが)です。
「現代イエナプランスクール」という動きの話を聞きました。(詳しいことは割愛させてください)
理念や哲学は大切に守りながら、新たなことに挑戦し続ける姿勢があります。
教室の中には巨大な電子黒板と、PCが児童の半数分くらい置いてありました。
先生たちの研修、校長の研修も日本とは違って、自主的な取り組みです。
教科書はありましたが、ほとんど使っていません。
レッスン内容は先のパワポと電子黒板で自作、練習問題も自作、評価問題も自作、授業のプログラムデザインは全部先生がつくっています。(教科書を使う先生は三流だ、という欧米の定説を思い出しました)
今のイエナプランを担っている人たちが、しっかりと前に進めています。




日本の公教育は明治にはじまり150年、イエナプランよりはちょっとだけ長いです。
でも、私は、その哲学や思想や理念を知りません。
これはほんと勉強不足で、風越が始まる前にちゃんと学ぼうと思います。
ここの部分がしっかりと自分のベースにないといろいろと語れないなあと思います。
アドベンチャー教育を知ってから私は教育に真剣に向かうようになりました。
その理念や思想や哲学、そしてやり方、あり方はかなり勉強したけども、
それは私の実践の場である日本の公教育のそれとしっかりと重なり合っていたのか今になって不安に思います。
そして、イエナプランのそれに今回少しだけ触れたことで、さらにイエナプランを日本の公教育の中で行うためには、やはり、日本のそれをしっかりと勉強せねばと思うわけです。
今の日本の教育を批判するのは簡単ですが、今の教育がなぜこうなっているのか、
その背景をしっかりと勉強せねばと思うわけです。
イエナプランが始まった1924年、日本は大正時代。
この大正時代、日本にも教育の大きなうねり?運動?があったと聞きます。
でも、私はそれを詳しくは何も知りません。



でも、ちょっと感覚でしかないんですが、
私も日本の公教育に携わってきて今ここにいて、
イエナプラン教育も今ここにあって、
互いにそれぞれの先っぽにいて、
その今の自分が感じたこと、考えたことはしっかりと言葉にしておきたいなと思います。
今回の目的のひとつでもあります。
先っぽしか見えてない今の状態で、
そこから今見えること、考えることは、
もしかしたら間違っていることを声高に喚いているかもしれないけど、
大切にしていきたいと思います。
私自身の公教育の先っぽ27年間の経験と合わせて。
今はそれしかできません。
それにしても、3ヶ月は長い。