料理16 怠学③

教育実習を途中で放棄した時点で、大学5年生が決定しました。

さらに言うと、大学3年生の1年間で、たったの2単位しか取れませんでした。

この時点でも、どうがんばっても4年間で卒業に必要な単位をすべてとることは不可能でした。

留年決定です。

大学を辞めて、料理人になると本気で思っていましたが、

それも無理なんだろうな…と時間が経つうちになんとなく思えるようになってしまいました。

 

なんのために大学にいるのか、よくわからなくなりました。

それでも、ロードの仕事はずっと続けていました。

自分の包丁も、その当時の彼女に、誕生日のプレゼントで買ってももらいました。

吉祥寺東急の中にある包丁の専門店で、「木屋」という包丁銘店のペティナイフです。

これは30年以上たった今でも愛用しています。

よく切れる。

 

大学4年生の途中で、あまりの怠学ぶりに、実家からの仕送りが止まりました。

ここから生きていくのが大変になってきました。

(続く)

働かないふたり

昨年度は1冊も教育書を読みませんでした。

昨年度だけではなく、もう数年間教育書は読んでいません。

これはもしかしたらすごいカミングアウトなのかもしれない。笑。

 

マンガはいっぱい読んでいます。

この冬休みはこのマンガにはまっていました。

2022年のナンバー1はすでに決まりました。

これです。

 

やさしい人になりたいです。

謙虚で、つつましくありたい。

世の中の人、みんないい人だと思える人になりたい。

自分の思い通りにいかないことが、その人の欠点ではないはず。

自分の思いとは違っていても、その人の一生懸命さに気づいてあげたい。

 

2014年からこれまで24巻出ています。

人を守れる人は強いよね。

そして、人を守れる人はやさしい。

 

 

 

 

明けまして。

明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。

 

風越学園が開校してからは、このブログも教育的なことはほぼ何も書かずにきました。

何か、もう、そんなエネルギーがない…というか、

そんなことをやることに面白みも、楽しさも、意味も感じられなくなってきてしまいました。

 

今までは、

誰かにどう思われるかってことをけっこう楽しんで書いてきたんだけど、

今は、

誰かにたぶんこう思われるんだろうなということが怖くて書けないでいます。

それはブログでのことだけじゃなくて、実生活でもそうなんだなと思います。

 

なんかめんどくさい。

 

なので、このブログものんびりと書きたいときに書きます。

今書いているお料理シリーズは迷走中ですが、

迷走していた大学生時代を振り返って楽しみながら書いていきます。

ちょっと、身の回りのことも書こうかなと思います。

 

本年もよろしくお願いします。

 

料理15 怠学②

日々スポーツとバイトに明け暮れ、毎日を過ごしていました。

ロードの営業時間はAM2:00まででしたので、

片付け終わって店を出る頃には3:00を回っています。

家に帰って寝て、朝起きて1限の授業に出るというのは若い時分にはとてもじゃないけど無理な話でした。

普通に帰ればまだいいのですが、半分くらいは本店に行ったり、

小金井の朝までやってる飲み屋に行って飲んでたり、

その飲み屋(主に鬼無里)の人たちとまた国分寺の飲み屋に行ったりとかしてたので、

学業はますますおろそかになっていくわけです。

 

秋に教育実習がはじまりましたが、

満員電車に乗るのが嫌で嫌で、

小平から世田谷までスクーターで行きました。

2日目、スクーターを停めた等々力公園からまったく足が動かず、

公園でBMXに興じる人たちを1日ぼーっと眺めていました。

私は初日に1回行ったっきり、

附属校での教育実習に行くのをやめてしまいました。

 

自分は、何がしたいんだろう…

とかそんなかっこいいことなんかこれっぽちも考えていなくて、

あー、めんどくせー

とずっと思っていました。

(続く)

 

 

料理14 怠学

3年生になって、サークルの部長になりました。

「レクレーションスポーツクラブ」略して「レクスポ」といいます。

私が入った時に、創部8年目でした。

ですので、私は第10代部長ということになります。

もともとは、体育会の方々がつくったサークルでした。

体育会の「チャンピオンシップ」偏重の体質を嫌った方々が立ち上げたそうです。

チャンピオンシップを否定しているわけではありません。

スポーツの楽しさは、勝つこと以外にたくさんあるよね、

強い人しか楽しめないってことは絶対ないよね、

スポーツの楽しさは、あらゆる人々に等しく享受されるべきであって、

何か特権がある人々だけのものではない、

というような理念のもと活動していました。

部員は100人を超えていました。

まったくのスポーツ初心者や、体に運動制限のある人から、

高校ではバリバリにやってたけど、大学では純粋にスポーツを楽しみたいという経験者まで、

多種多様な人たちが集っていました。

月曜日…バレーボール

火曜日…バドミントン

水曜日…ソフトボール

木曜日…バドミントン

金曜日…部会

土曜日…バスケットボール

単発的に、

夏休み…キャンプ、上のスポーツの合宿

クリスマス…オールナイトスケート

春休み…スキー合宿

などなど、部員は自分が参加したいものに自由に参加します。

インストラクターは経験者が務め、初心者に丁寧に技術指導してくれる。

 

まあ、こんな感じで楽しくやってましたが、

体育会からはめっちゃ目の敵にされていて、

学園祭の時(うどん屋営業)にはいつも体育会の人たちから襲撃をくらっていました。

嘘みたいなホントの話。

 

サークルのほうも忙しくなって、

このころから講義、授業にはあまり出なくなり始めました。

(続く)

 

 

あ、余談ですが、

卒業して30年くらいして、

勤務していた学校に、私の行ってた大学の教育実習生が来て、

その子に「レクスポってまだある?」って聞いたら、

「あー、あの飲みサーのですか?」とにやけ顔で聞き返され、

衝撃を受けた次第です…

めっちゃまじめにスポーツのことを考えて日々自分たちでつくり上げていたのに…

飲みサーに成り下がっていたとは…(T . T)

 

料理13 バイト仲間

佐藤さんは、ここでも長続きせず、私が2年生を終える頃に辞めていきました。

こんな小さな店で燻っている人でもないし、

たぶん、引きがあったんだと思います。

 

さて、3年生になり、とりあえず厨房のことは1人で回せるようになり、

馴染みのお客さんと楽しくおしゃべりしながら仕事してました。

佐藤さんが辞めてから、厨房にはたくさんのバイトが入りました。

すぐ辞めていった人も多かったですが、

私は「教える」立場になったので、

けっこう気を使ったりしましたよ。

2人の変わった先輩のようにはならないように。笑。

 

いっとき、私の親友の伊藤というやつが一緒にバイトに入る時期がありました。

いまだに付き合いがある、私にとって唯一の親友と呼べる奴です。

彼はいろんな種類のバイト経験があり、

こういう飲食店も長かったので、

すんなりと馴染んでいきました。

1週間のうち、1日だけ曜日が重なる日があり、

その日はとても楽しかったです。

ママさんが所用で数時間抜けた時なんか、

ここぞとばかりに勝手に料理作って食いまくりました。

メニューの中で「スペアリブ」が一番高くて、

そいつを2人でモリモリ焼いて食ったりとか、

(滅多に出ないメニューだし、ママは厨房の在庫のことをよく把握してないから平気)

食べ盛りのうちらにとって、ピザはかっこうの餌食でした。

また、武蔵小金井の北口商店街の歳末大売り出しで、

何千円以上買い物すると、

札幌雪祭りへの招待券が当たる抽選券がもらえるという企画にロードも参加していて、

それをママさんの目を盗んで2人で大量にゲットし、

書きまくって送ったら、伊藤だけ当たりやがった。笑笑。

悔しいおれら友達数人は、

旅行初日をぶっつぶそうかと思って、

出発の前日にしこたま伊藤に酒を飲ませ、

徹夜で朝を迎え、その勢いのまま羽田空港まで車で送りに…

しかし、行ったみたらですよ!なんと欠員が出たとかで、

タダでいいから誰か行く?と聞かれ、

まあ、商店街の知り合いのおっちゃんやおねえちゃんたちがやたらに私に勧めるので、

酔っ払った勢いでそのまま飛行機に乗って、

ハッと眠りから覚めたら千歳空港でした。笑

ハンドバック一つで3日間札幌を満喫しました。

(続く)

 

 

 

 

料理13 佐藤さん2

ぐうたらとはいえ、十数年は一流どころで修行した人でしたので、

料理の腕は素晴らしかったです。

 

広田さんや私が切るキャベツの千切りの、

5分の1くらいの細さでサクサク切っていきます。

万切りか兆切りのレベルです。笑。

フライパンを振るにしても、

調味料を振るにしても、

サラダを盛り付けるにしても、

その流れるような華麗な動きとでも申しましょうか、

簡単にいうと、「様になる」んです。

 

料理はたいしたメニューじゃないし、

食材も長崎屋(武蔵小金井店)で買ってるようなものなので、

そんなにかわり映えはしませんでしたが、

(というか、全体的にもう、やる気がない人なので。笑)

ソースやドレッシングは一変しました。

以前紹介した、ロード三世のレシピをベースにして、

あれやこれやと何の説明もなくいろいろ加えていくんです。

そうすると、なんだか高級感あふれるソースやドレッシングになる。

さすがだなぁと思いました。

 

あるとき、ママさんが、ランチで特製カレーを出したいと言い出し、

佐藤さんがいやいやつくりました。

カレーはマスターの浅野さんが作ってましたから、

掟破りのメニューです。

そのとき私ははじめて、カレーを小麦粉からつくるところを見ました。

カレーってこうやってつくるんだぁ〜と素直に驚いたのを覚えています。

 

まあ、それ以外にも、いろんな料理のいろはを教えてもらいました。

包丁の切り方、飾り切りもいろいろおしえてもらいました。

食材の扱い方や、見方、特徴などなども。

料理のいろんなうんちくもおもしろかったです。

 

この人に出会ってから、

私は料理のおもしろさに本格的にのめり込んでいくことになります。

(続く)