子ども読書環境整備推進フォーラム

以下の文は、上記のフォーラムに参加した、
うちの市の中学校の先生が報告してくれたもの。
講演しているのは、東大教授の佐藤学氏。
氏は、いろいろな肩書があるけど、
ここでは、文字・活字文化推進機構理事長の立場で講演しています。
以前、この人が、少人数(習熟度)指導のことを批判している文を読んだことがあります。
至極もっともで、まったくその通りだと思いました。
以下の、読書に関しての講演も、
なかなか鋭いところを突いています。
ただ、こんな会なので、図書館をよいしょしている部分も多分にあるかと思いますが…。

以下、その人の講演メモです。




 「学びからの逃走」は、「読書からの逃走」である。

 10年以上前から、日本の子どもは世界一学ばなくなっているし(学校以外の学習時間が最低)、最近のOECDによる調査によれば、日本の子どもは世界一本を読まない国になってきている。

 ここ数年は、国が図書整備費などでお金をかけたり、朝読書の普及などで不読者は減少している。

 フィンランドは学校以外の学習時間は日本と同じくらいだが、読書率、図書館利用率が世界一(日本の5倍!)コンピニの数ほど図書館がある。(いつでもすぐに行けるくらい身近なところに図書館がある)→読書量や読書を支える環境が、学力世界一に繋がっている。

 なぜ日本の子どもは本を読まなくなったのか?→テレビやケータイの普及は、あまり関係がない。他の国だって普及しているが、読書量の減少には繋がっていない)→「大人が本を読まなくなったこと」が最大の原因!(教師も含めて)

 「忙しいから本が読めない」というのはウソ! 実際には忙しい人ほど本を読んでいる。

 読書率の低下は、市民的教養の崩壊に繋がっている。(「教養」とは、生命体の血液のようなもので、これがないと、互いの共通の文化がなくなり、「共感」ということができなくなる)

 明治の頃までの日本は、「規範」としての読書があった。漢籍の素養を備えていた。(四書五経を読んでいた)→「教養」が根を持っていた。

 大正時代以後、学者などは岩波系、一般人は講談社系に二分するようになって、「教養」が根無し草になっていった。

 「教養」とは、根本的には「読書」によってしか培われない。だから、日本人は「規範」あるいは「習慣」としての「読書」を取り戻すぺき。

 日本の教育の問題点は、教科書しか教えないこと。教科書の「向こう側」を教えてこそ、教育!そこにあるのが「本」である。

 古代以来、教師が教師たるゆえんは、「本を読んでいること」である。

 昔に比べて、今の学校の校長室には本が少ない。(ほとんど無いl)

 学校は、子どもたちと本とを結びつける場であってほしい。

 読書をしない人間は、条件反射でしか行動できない。(思考ということが出来ないから)→「読書が人間を暴力から救う」という意味のタイトルの本を参照されたし。これは、私が薦めて他の人に翻訳してもらった本である。

 OECDの調査によれば、日本の子どもたちは「親や教師に薦められれぱ読んでみたい」や「放課後や休みの日に本屋や図書館で過ごす」という数は世界一多い。やり方を考えて子どもたちに手を差しのべれば、もっと読書率は上がるはず。

 日本の学校では、図書館(室)が隅に追いやられているところが多いが、欧米の多くは学校の中心に置いている。これが学校の本来の姿である。

 本のない「学び」は「さまよい」である。





「ソ」で述べられている本は、『本が死ぬところ暴力が生まれる』(パリー・サンダース薯、杉木卓訳、新曜社刊、1998年)のことです。
この本はオススメです。


なるほど、そうだよな、とうなずく点は多いですね。