教科書

昨日、いやもう一昨日か…授業観察がありました。
校長、副校長の年三回の恒例行事?です。
授業は「読書家の時間」
いつもは普通の本を使ってやっていますが、
偶然にもこの日は教科書を使ってのロング・レッスンの日。
まぁ、見ている管理職は安心したことでしょう。
「大造じいさんとガン」を使って、読書ノートの使い方と、ブッククラブのレッスンを一時間ずつ。管理職はノートの使い方のほうの一時間を見ていきました。



授業後の面接の時間…
聞かれたこと。
「これは読書指導?国語の時間?」
「指導計画みると4時間になっているけど、『大造じいさんとガン』といったら…これもっと本当はあるよね?」
不思議な授業だったんでしょうね。
自分の今まで見てきた、やってきた『大造じいさんとガン』の授業とはまったくかけ離れたものだったのだと思います。
物語の内容に関しては私はまったくのノータッチでしたから。
読書ノートの使い方と、話し合いの方法しか伝えてないです。
文の読み取りに関してはすべて子供任せです。



ふだんは教科書使っていません。
教科書の教材は残念ながら子供たちの読みの力をつけるためには最悪の教材です。『大造じいさんとガン』は全14ページですが、まず単純に考えて、14ページの本を読んで、読む力がつくとは考えられません。教科書にはこの手の話が年に4、5作です。合わせて50ページちょいです。まず無理です。
この小作に、指導時間20時間、指導書のページ数30ページ…というのがどうも解せません。重箱の隅をつつくようなことを先生たちはやってませんか?
単元終了後、「先生もっと本読みたい!」「こんな読み方したい!」って子供たちが言ってましたか?



「泳げるようになるためには泳ぐしかない」「自転車に乗れるようになるためには自転車に乗るしかない」
ならば「読めるようになるためには読むしかない」のです。