学校公開参観記②

学校公開を参観された方からのフィードバックが届きましたので、
またまた公開いたします。
さらなるフィードバクください😄



今回は、西多摩PACEの重鎮(最近軽くなった)けんじくんです。
いつも見に来てくれる私の大事な助言者です。
前回のとりむぅは金曜日の授業、けんじは土曜日の授業です。
とりむぅもけんじも、休み時間に子どもたちとめちゃぶつけで遊んでくれたんですが、
けんじの投げる球は「ぱねぇ」「やばい」とかいうレベルだったと喜んでいました。笑



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授業を見せていただきありがとうございました。



【2時間目ブッククラブ】
 「まだ読み終わってない人〜」のKAIの声に、10人弱の子どもが手を上げているのにビックリ!「なんでだろう??」という疑問もKAIのブログを読んでスッキリ。なるほど、1冊まるごとブッククラブだったのか!僕なら、この時点で、顔にイライラが出てしまうのに、全くそんなそぶりも見せないKAIはすげーなーと思いながら、それぞれのグループとKAIの動きを定点観測。
 全員が読んでいないグループは、全員が読み終わるのを待つのか、話しを始めるのかはグループの自己選択。この自己選択がいい。
 カラフルを選んだ3人の女の子。カラフルを読むのにピッタリって感じの女の子たち。表情や、声のボリューム、話している内容から話は、大いに盛り上がっていたように見えた。個人的には、この3人には「つきのふね」を読んだらどんな感想をもつのかな〜って興味があった。印象的だったのは、
「この話の続きがどうなったのか気になる〜」
「うんなるよね〜。どうなるんだろう〜。」
「じゃあさ、この続き書いちゃおうよ。」
「いいね、そうしようそうしよう。」
「私はさ、絶対、◯◯になると思うだよね。」
「わかる、だってさ、△△だったもんね。」
とカラフルの続きを作家で書くことになった場面。読みと書くことを両方楽しんでいるな〜と思ったし、編集会議のように、さらに、物語の自分物の解釈がされてそこから続きの物語の概要がどんどんと生まれていた。あっと、いう間に書き上げてしまうんだろうな〜と思った。
 そういえば、3年前、岡田淳の「びりっかすの神さま」を毎日ちょっとずつ読み聞かせをしていた時のこと。1ヶ月くらいかけて読み終えたんだけど、読み聞かせの中でたくさんの対話をしていたから、自然と物語の解釈が多様に、でも詳細にされていた。最後に、「びりっかすと先生と学級がどうなったか知りたい。」ってことになってみんなで「びりっかすの神さまのその後。」を書くことになった。10分で書くことになったんだけど、一気にジャーナル2〜3ページを書き上げていた。読みと書きが繋がった瞬間だ!って思ったのを覚えている。3人と同じことがクラスでも起きていたんだろうな〜って思う。
 話し合う時間は25分位あったのかな。話が続いている所。とぎれとぎれ話している所。話が止まっている所。色々会ったけど、でも、どのグループも話し合うことを諦めていない雰囲気が伝わってきたのが印象的だった。



【3時間目PA バルーントロリー】
 うーん。みんなのふりかえりがみてみたい。どんな気付きをしたんだろう? 何か、合意形成が30人の中でされたわけでもないし、誰か一人が強烈なリーダーシップを発揮されたわけでもないし、誰かの声を拾って広げたわけでもないし・・・「あれ?できちゃった。」っていうのが見ていての正直の感想だった。
 どうして、KAIが今回は、「ジャーナル公開するかもよ。」って言ったの?




【5時間目 社会〜鎖国に反対か賛成か〜】
 いや〜面白かった。子どもたちが討論を楽しんでいるのがよく分かる。
 一番最初に話した子のキャラクターというか、その子がもっているリソースをクラスの子どもたちが理解しているよね。ともすれば、クラスの討論の時には煙たがられてしまいそうなその子がみんなの意欲や、理解を深める存在になっているのが本当にすごかった。
「相談する時間を下さい」
とか、自然に輪になって話している子どもたちの姿、賛成・反対に、一喜一憂するのではなくて自分が納得できる意見を探し求めている姿に、やらされているんじゃなくて、自分たちから参加しているんだな〜
ってのが本当によくわかった。
 「話して学ぶ子、聴いて学ぶ子、質問して学ぶ子、学び方なんて人それぞれ違うんだから、その子の学び方で学べばいいんだよ〜。」
 KAIがよく言うこの言葉。その言葉の通り、それぞれの学び方で学んでいる子が存在している討論授業だった。




 約1年ぶりにあった子どもたち。子どもらしい部分は子どもらしく伸び、自立した学び手へ着々と進んでいるな〜という印象でした。そして、何より学ぶことを楽しんでいるのがよくわかりました。それが自分の成長に繋がっているって思っている子もいれば。思っていない子もいるんだろうけど、でも、クラスの基盤に「学ぶって楽しいこと」っていうのが溢れている気がしました。それはやっぱり自分の学び方が保障されているからかな?


 一見すると、先生が話している時も、先生の目を見る子はほとんどいなくざわざわしている感じだけど、学ぶときは学ぶ、遊ぶときは遊ぶのメリハリがしっかりしている。誰もが、頑張らずに教室にいることを保障されている気がした。僕は口うるさすぎるのかな〜 任せきれていない。いや、任せるプロセスができていないのかな〜、それとも、任せることを何か美しいもの、絶対なものにしすぎているのかな〜



 ゴリのクラスを見てから、はじめてのKAIのクラスを見たけど、ゴリのクラスも、KAIのクラスもそこにいて安心できる。学びを楽しむ、強制力があまりなくて、自分の成長を実感しているクラスだな〜と思いました。
 うーん、あと一歩二歩、僕には何かが足りない。と思いました。
 ありがとうございました。また、よろしくおねがいします。



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いやいや、どもども、ありがとうございます。
授業規律がなってないね。笑。
質問には個人的に延伸しますね😄
またいつでもお越し下さい。
子どもたちも待っています。
(子どもたちには、弟とか、甥っ子とか、従兄弟とか、そういう設定になっているらしい…笑)